さいちゃんの教会音楽な日々 -24ページ目

出張で結婚式のお仕事

 今日は結婚式。といってもホイマーデン教会ではなくて、シュトゥットガルトの少し南にあるアイヒという小さな村でのお仕事である。

 ホイマーデン教会の会員が、自分の母親の出身地で知り合いも多いアイヒで結婚式を挙げたいと言い出したのだが、こういう場合、原則として建物は借りるが、担当は所属教会の牧師とオルガニストとなる。そんなわけで、牧師も私も出張になったのだ。同じくホイマーデンのMKさんも、式の中で歌うため出張。


 朝から雨が降っている。式の後ガーデンパーティーを計画していたお2人にお気の毒だなと思いつつも、こればかりは仕方がない。

 家からアイヒまでは、1時間以上は確実にかかる。何度も乗り継ぎをして、アイヒに近づくにつれて空が明るくなり、晴れ間が見えてきた。式の1時間15分前には教会に到着したのだが、すっかりいい天気でびっくり。でも扉の鍵が開いていなかったので、途方にくれてしまった。教会の周りをうろうろして、牧師館のベルを鳴らしてみたら、休暇中のはずなのにひょいと2階から誰かが顔を出して、教会の鍵の隠し場所を教えてくれた。

Aich-Kirche

 アイヒの教会もホイマーデン教会同様、中世のとても雰囲気のある建物である。中はしかし30数年前に大幅に改装されていて、昔の写真だとオルガンが真正面の2階、祭壇の上の方にあったのだが、今はその2階部分がなくなって、オルガンは会堂の左端の、演奏台からは祭壇が全く見えない位置にある。その代わりモニターがついていて、スイッチを入れると祭壇が映し出されるようになっている。

 オルガンビルダーはヴァイクレ。ホイマーデン教会のと同じ会社だが、アイヒのオルガンの方が少しストップ数が多い。といっても、ペダルのリード管の音色がきれいとか、ミクスチュアが2段階になっているとかの他には、どこにでもある、これといった特徴のないオルガンでちょっと退屈である。教会内がおそろしく暗かったので上手く写らなかったが、オルガンはこんな感じ。

Weigle-Orgel(Aichtal)

 少し指慣らしをしていたら、MKさんがやってきて歌との合わせ。そうこうしているうちに、花婿の母親がやってきた。恰幅のいい世話焼きのおばちゃんで、この結婚式やパーティーをかなり仕切っているらしいのだが、花嫁さんやりにくいだろうな、とちょっと同情したりして^^;

 そのうち牧師も到着。誰か初老の紳士を連れてきたな、と思ったら、カトリックの神父であった。花嫁さんはフランス語圏の出身で、カトリック教徒なのである。それで、プロテスタントとカトリック両方の、牧師&神父の立会いで式を行うことになったらしい。


 あっという間に時間は過ぎ去って、14時の鐘が鳴り始める。前奏はファニー・ヘンゼルのオルガン前奏曲。マイナーな曲だが、何せ自分の結婚式用に書いた華やかな曲であるからぴったりである。しかし、弾いていてなかなか新郎新婦が入場してこないので、焦って後ろを気にしているうちに思いっきり間違えてしまった。結局、最後の15秒ぐらいの間に、牧師+神父+新郎新婦が少し早足でオルガンの横を通り過ぎて行ってくれて、最後の和音を長めに押さえることで何とか切り抜けた。

 挨拶のあと、まずMKさんとバッハ=グノーの「アヴェ・マリア」を演奏。式が全部ドイツ語で行われるので、ドイツ語のわからない花嫁の親戚や友人達のために、せめて有名な歌を…という新郎の母親の希望だったのだが、「何で世の中にはもっといい歌がたくさんあるのに、よりによってアヴェ・マリアかなぁ」とうちの牧師が式の数日前にぼやいてましたっけ。

 祈りのあとで、お祝い事にはお決まりの讃美歌"Lobe den Herren, den maechtigen Koenig der Ehren"(栄光の力ある王、主をほめたたえよ)。この曲にはEG316と317の2通りの歌詞があって、今回はカトリックとプロテスタント両方で通用する316の方の歌詞で歌う。まぁ、メロディーは全く同じだし、歌詞の内容もそんなに違わないので、弾く側の私にはあまり関係がないのだが。

 短い説教のあとで、MKさんとシュッツの"Ich will den Herren loben allezeit"(すべての時に主をほめたたえたい)を演奏。それから聖書朗読があって、またお決まりの讃美歌EG331"Grosser Gott, wir loben dich"(大いなる神よ、私たちはあなたをほめたたえます)。これもカトリックとプロテスタント両方で歌うことの出来る、超有名な讃美歌である。

 そしていよいよ結婚の誓約。"Ja, mit Gottes Hilfe"(はい、神の助けによって決意します)の答えが、会堂内に神聖に響く。何回結婚式に出ても、この2つの"Ja, mit Gottes Hilfe."が聞けたときが最も嬉しい瞬間だ。"Ja"を言った2人はひざまずき、牧師と神父両方が手を置いて祝福、そして指輪の交換。そして教会から記念に聖書を贈られる。

 もう一度、MKさんとバッハのシェメリの中に入っている"Dir, dir, Jehova, will ich singen"(エホバよ、あなたにこそ私は歌いたい)を演奏。それからとりなしの祈り、主の祈りがあって、最後にこれまたお決まりの讃美歌EG321"Nun danket alle Gott"(すべての人よ、神に感謝せよ)。そして祝祷+アーメン唱。

 後奏には簡単なカデンツをつないだ即興演奏を行った。新郎新婦の退場のあと、続いてみんなも退場していく。かなりたくさんの人が集まっていたので(おそらく100人は確実にいたと思う)、結構長々と弾いた。カデンツをつないで、聞いている人が退屈しないように適当な転調をしながら間を持たせ、でもある種のモチーフをきちんと入れて弾くというのは、簡単そうで意外に難しく、いい勉強になる。


 今回司式をした神父はかなり音楽のことに詳しくて、式の前に私がファニー・ヘンゼルの曲を弾くと知って「おお、ファニー、フェリックス・メンデルスゾーンのお姉さんではないですか。この2人はユダヤ系の血が入っていたから、特に戦時中は曲の演奏を禁じられていたんだよ。こんなによく聴けるようになったのは戦後の話なんだ。」と教えてくれた。式の後はMKさんを捕まえて、「Jehovaっていう歌詞は今日一般には歌われないよね。エホバの証人を思わせるってことから、新しい讃美歌集では全部別の言葉に書き換えられてるでしょう?そもそもは、神聖4文字の読み間違えで…」と神学的説教(?)をしていた。もう定年で引退しているが、聖ゲオルク教会という、シュトゥットガルトでも大きな教会の神父をしていたのだそうである。引退後はホイマーデンに住んでいるとのことだったが、今まで会わなかったのが不思議。いや……神父はうちの教会の礼拝には来ないよね^^;ホイマーデンに住んでいる人材を、こういう形で用いる我らが牧師、さすがである。


 式を挙げたお2人に挨拶しておめでとうを言い、シャンパンを1杯いただいたあと、牧師の車にSバーンの駅まで乗せてもらった。結局お天気にも恵まれ、よい結婚式になったと思う。お2人の末永き幸せをお祈りしつつ。

戦前生まれは強し(汗)

  ホイマーデン教会恒例、「夏のセレナーデ」に向けて、寄せ集め合唱団が今日から練習を開始した。といっても、指揮者は私ではなく、大御所のKさん。私は練習のときにピアノを弾く人が必要、ってことで、かり出されただけである。


 練習開始20分前に教会の近くのバス停に着いて、歩いていたら教会の前にすでにKさんの車が。さすが指揮者、早いなぁと思いつつ見ていたら、Kさんが車の荷台を開けて何か取り出そうとしている。何してるんだろうと目を凝らしてみて、ぎょっとした。


 な、何をやってるんですか、あなたは!!!


 荷台にのっているのは、持ち運び用ケースに入った電子ピアノ。決して軽いものではない。それをKさんは、一人で運ぼうとしているのである!!これが男性だったら誰も驚かないのだが、半年前に肋骨を折った77歳の老婦人がである。

 慌てた私は「Kさ~~ん」と叫びながら、暑さも忘れて教会の前まで突っ走った。さすがに運ぶのを躊躇しているように見えたKさん、後ろを振り返るなり「おお、天使だ!」だそうで。(私もだいぶ出世したみたいだな〔爆〕)「どうしようかと思ってたのよ、よかった~~」

 というわけで、二人で荷台から電子ピアノを引っ張り出し、Kさんが車に鍵をかけている間に、私が電子ピアノを持ってとことこ歩き始めたら、3歩も行かないうちにKさんに呼び止められた。「待って!そんな重いもの一人で持っちゃだめ!私も手伝うから」


 さっき一人で運ぼうとしていたのは誰でしたっけ!?


 というツッコミと、「私は見た目ほどやわじゃないから、これくらい一人で持てるぞぉ!」という文句は心の奥深くにしまっておいて、Kさんと二人で運ぶ。もちろんKさんの側に、なるべく重さがかからないよう工夫しながらである(笑)

 もう10分もすれば誰か来るだろうから、それから運んでもらえばいいのに、全く戦前生まれは強し、である。その、なるべく一人でやろうとする姿勢が、心の若さを保つ秘訣なのかもしれないが…^^; (ただ、どこかで怪我をしそうな気がしてまた心配_ _;)


 という前置きはあったが、合唱練習の方は意外にスムーズに進んだ。Kさんは発声練習をさせるのが苦手なので、最初の部分だけ私が代わってやったが、あとはKさんが1時間半の練習をコンパクトにまとめていた。ブラームスの曲があったりして、本当に大丈夫かなと懸念したのだが、事前にカセットテープを配ってみんなに聴いてもらっていることもあるのか、思ったよりずっとスムーズに音とりが出来た。

 あと2回の練習でどこまでいけるかが問題。本来は伴奏なしで歌う曲なのだが…う~ん、何となく本番でも伴奏が必要な気がするのは気のせいであろうか…。まぁ、次回の練習を見てから臨機応変に、かなぁ。結局その場合、私が弾くことになるんだろうけど_ _;

お仕事、増えました^^;

 夕方教会でオルガンを練習していたら、牧師が次の日曜日の讃美歌を届けに来てくれた。うちの牧師はわりときっちり木曜日には讃美歌を出してくれるのだが、今回は更に1日早いとはありがたい。

 そして礼拝に関して、6月から説教のあとの讃美歌の番号をアナウンスせずに、長めのオルガン即興で始めることが役員会で決議されたと伝えてくれた。

 他の州教会では讃美歌の番号はアナウンスしない方が一般的だ。そもそも教会の壁に備えつけてあるボードに番号が表示されているから、いちいちアナウンスする必要はない。この手のアナウンスは、どういう風に言うかにもよるが、礼拝の流れを妨げている場合が多い。特に説教のあとのアナウンスは、その讃美歌が説教の内容と密接な関係があるだけにもろに妨げになる。

 1月の会議でその流れの妨げが問題になったので、説教のあとの讃美歌の番号をアナウンスしない代わりに、少し長めの前奏を即興演奏する方法を私が提案したのだが、見事に採用になった模様である。礼拝参加者に今聞いたばかりの説教の内容を思い返し、整理する時間を与え、「説教に対する応答」である次の讃美歌へとつなげるという方法だ。

 採用になったのは嬉しいが、これって要するに「私の仕事が増えた」ということである。もちろん教会音楽家として、礼拝の中で音楽が効果的に用いられることは嬉しいのだが、説教を生かすも殺すも私次第であるから責任重大。ちなみに同業者たちは、牧師の説教が気に入らないとこの即興でおちょくったりして、礼拝の流れの中で説教を淘汰してしまう。牧師と教会音楽家の仲が伝統的に悪いのも頷ける(苦笑)が、うちの牧師に関して言えば、説教が良いのでまず大丈夫、私が全力でぶつかってもとても淘汰なんかできない。むしろ、私がそれにふさわしい即興が出来るかどうかが問題である。しっかり準備して頑張らねば。

 他に、最後にもう一曲讃美歌を増やすことにしたみたいである。教会暦に従って、その期間にふさわしい讃美歌を1節だけ毎回歌うようにするらしい。一種の典礼歌みたいな感じで、とても良い案だと思う。


 新しい礼拝の本が出て、このように少しずつ礼拝も変わっていく。6月からのこのやり方がどのように礼拝参加者に受け止められるのか、今から少し楽しみである。

夏の合唱プロジェクト会議

 今日は夕方から合唱団「ダ・カーポ」の代表者および牧師との会議。7月3日に再び礼拝で歌うのだが、その選曲が主な議題である。他に、メーリンゲン地区教会音楽支援金についての会議に出席していた教会役員(兼合唱団員)から、何かそれについての話があると聞いていた。


 まずは教会役員の人が時間がないというので、先に支援金についての話をしてもらう。早い話がお金がなく、支援金の枠も狭めないといけなくなったのだが、弱小寄せ集め合唱団であるわれわれはとても分が悪く、今まで1年に225ユーロもらっていた支援金を削除される可能性が高いというのである。それをさせまいとこの役員の人が会議で大奮闘してくださっているわけだが、その大奮闘を続けるにはやはり合唱団側の積極性も問題になる、という話であった。

 具体的には、一つに現在合唱団への参加者が少なく、毎回歌えるかどうかギリギリの人数になっているのはまずい、ということ。せっかく大奮闘して支援金を確保したはいいが、合唱団のほうが立ち行かなくなりました、ということになってしまったら、この役員の人の面目丸つぶれである。だから、積極的に人集めをして、「これだけ歌いたい人がいるんだ!」ということを示して欲しいということ。

 二つ目に、合唱団から地区の音楽プロジェクトへの参加が少ないということ。メーリンゲン地区の他の教会で行うプロジェクトや、教区のトップが行う音楽プロジェクトへの参加者がいないと、どうしても合唱団としての影が薄くなる。だから必ずそういう催し物について団員に連絡し、参加するようにして欲しいとのこと。

 三つ目に、合唱団として支援金集めのチャリティーコンサートが出来ないか、という提案。支援金をもらうばかりではなく、自分達からも集めるような催し物をすることによって、地域の教会音楽を資金面でも支える働きを担うということである。

 ドイツにはドイツ流の「筋の通し方」というか、世渡りの仕方があるのだなと興味深いのだが、私ももちろん指揮者として出来ることをしないといけないであろう。人集めはメーリンゲンに住んでいないので難しいが、他プロジェクトへの参加はもちろん出来る。4月に教区のトップが行ったゴスペル・プロジェクトに参加しておいてつくづく良かったと改めて思った。チャリティーコンサートの指揮はもちろん私の仕事であろう。

 合唱団代表から、「その支援金が削減されると、指揮者のお給料に影響が出るんですか?」という質問が出てくれて、自分では聞きにくかったので助かった。私のお給料はそもそもその支援金と関係ないところから出ているので、大丈夫とのことである。支援金の使い道は、楽譜や備品の購入、飲み物代等なのだそうで、これは削減されてしまってもそこまで合唱団の活動そのものに影響は出ないだろう、という結論に達した。

 また、3月にお隣の教会の礼拝でも歌ったが、その回数を増やしてお隣の教会を味方につけられないか、という話になり、急遽7月も2回歌う方向で考えることになった。お隣の教会もすっかり巻き添えという感がしないでもないが、支援金の大部分を独り占めして大きなコンサートばかりやっている、もう一つの合唱団への反発がこの話の背景にあるのがちらほら感じられる。教会音楽界で仕事をするとなると、支援金を分捕るためのこの手の駆け引きにもきっと慣れないといけないのだろうな、と思うと頭が痛い_ _;


 さて、お金と駆け引きの話(苦笑)が終わったところで、ようやく選曲である。今回は年に一回の教会祭の礼拝で歌うということになるが、お隣の教会でも歌うことになるとこちらの教会の都合ばかりで曲を決めるわけにはいかない。やはり無難な線で「どんな礼拝にでも合う曲」になってしまう上、うちの合唱団でも歌えるレベルの曲を選ばないといけない。

 今回はゴスペル系の曲を選ぶということはもう事前に決まっていたのだが、ゴスペル系の曲にはやはりピアノ等の伴奏が入る。ドラムやベースがあるともっと雰囲気が出るし、曲によっては旋律楽器も必要で、そうするとその楽器を演奏する人が手配可能か、も問題になってくる。おまけに、我らが頼もしきテノール君たちはともかく、バス君がいるかどうかも問題で、もしテノール君たちしかいないのであれば低い音域の曲は選べない。

 結局あーでもないこーでもないと検討した末、4曲を選んだ。1曲は英語のゴスペル、"Heaven is a wonderful place"。英語の発音調べておかなくては…(大汗)残りの3曲はドイツ語のゴスペル系讃美歌を合唱用に編曲したものである。1曲はバスが絶対に必要な曲なので、もしバスが歌いに来なかったらカットするということになった。楽器はピアノとヴァイオリンを手配することにして、合唱団の代表の人が問い合わせることに。

 この合唱団のありがたいところは、合唱団の代表者がチラシを作ったり、誰が歌うかを取りまとめてくれたり、いろいろな手配をやってくれるところである。下手な合唱団であれば私がすべてやらないといけないであろうから、本当に助かっている。と同時に、こんなにいろいろやることがあるんだ、ということを思い知らされて、とても勉強になっている。いつか自分でやらなくてはならない合唱団を持つようなことになったら、今の合唱団での経験はものすごく役に立つだろうと思う。


 ともかく、ゴスペル系の曲を指揮するのは初めてだし、次のプロジェクト開始に向けて準備を始めなくては!プローべ開始は6月6日。まだ時間が少しあるとはいえ、気を抜かずに準備しておこうと思う。

Kantateの日曜日♪

 今日はイースターから数えて4番目の日曜日。詩編98篇1節の「新しい歌を主に向かって歌え」にちなんで"Kantate"(歌え)と呼ばれている日だ。当然ながら教会音楽には最も関係の深い日曜日で、各教会で合唱団が歌うなど、それぞれに工夫を凝らした特別な音楽礼拝が行われる。

 私の勤務先、ホイマーデン教会でも例年、寄せ集め合唱団が歌うのだが…妙な行き違いが牧師と指揮者の間であったらしく、今年は完全に企画が転覆してしまった。そのせいか10代の青年達のグループがギターとキーボードで礼拝をやるので、オルガンはなしで良いとのこと。"Kantate"の日曜日に仕事がないなんてことは、教会音楽家人生において2度とないかもしれない!!てなわけで、他の教会の礼拝に行くことに決定。

 とはいえ、コンサートなどと違って「どの教会が礼拝で何をやる」というのは情報が得にくい。ネットで検索して、ようやく街の真ん中のシュティフト教会の礼拝でシュトゥットガルト・カントライが歌うらしい、と突き止めたので出かけていった。シュトゥットガルト・カントライは入団オーディションのある、ある程度レベルの高い合唱団である。


 礼拝は10時から。合唱が入るというのでいつもよりたくさん人が来ているのだろう。かなり大きい教会なのに、それなりに座席が埋まっていた。

 早速合唱で礼拝が始まる。ここの教会音楽家J氏はどちらかというとオルガンの方で有名なので、合唱はどうなのかなと思っていたが、なかなか良く歌わせていた。合唱団は前で歌っているので、J氏は指揮のときは前、オルガンを弾くときは後ろ、と大忙しで行ったり来たり。オルガンの即興の方にも力が入っていて、特殊な音階を使った即興やらトリオやら、いろいろと繰り広げてくれた。

 合唱団は礼拝中3回歌っていて、最初の2曲は聴き覚えがあったが、最後のかなり現代風の曲は全く知らない曲だったので興味を持った。雰囲気としては北欧風だが、いったい誰の曲だろう?いずれにせよ、この音階の曲をア・カペラで歌えるとは、合唱団の実力はやはりかなりのものだ。

 礼拝の最後の方で、牧師からJ氏と合唱団への感謝の言葉があったと思ったら、J氏本人が出てきて「教会音楽を支える会」のようなものが発足するから、それに年会費を払って入会してほしい、という宣伝があった。これを話しているときのJ氏ときたら、まるでやり手のビジネスマンそのものの雰囲気。教会音楽家とは、ビジネスも出来ないといけないのか、とちょっと苦笑。礼拝の後奏はJ氏自身が作曲したトッカータだった。

 礼拝が終わって教会を出ようとしたら、合唱団のメンバーが出口に献金集めに立っていたので、今日の曲目を聞いてみた。1曲目がメンデルスゾーン、2曲目がブルックナー、そして3曲目は何とJ氏自身の曲!!!道理で全く知らない曲のはずである。

 いずれにせよ、このレベルのものが歌える合唱団を持ってるっていいな、などと思いながら、教会を後にしたのであった。


 ところで、礼拝終了直後に隣に座っていたおばあさんから「きれいな声ねぇ、音楽勉強していたの?」と聞かれてしまった。仕事でなくて礼拝に行ったときぐらい、一般参加者に紛れて隠れていたいような気もするのだが、讃美歌を歌い出すといつも正体がばれてしまう。旅先で礼拝に参加してもそうなる。昔、歌が苦手で、声がなかなか出るようにならなかった私を知っている人は「え?」と驚くような話なのだが…やっぱり教会音楽を勉強して、変わったよなぁと思う。