さいちゃんの教会音楽な日々 -27ページ目

第2回マティネーはイタリアン

 今日は第2回マティネー。「イタリアのオルガン音楽」がテーマのコンサートで、私のソロ。
 教会音楽大学在学中の2002年9月に、イタリアにオルガン見学ツアーに行ったのだが、その時に知ったいろいろな曲を使ってプログラムを組んでみたいと一度思っていた。折りしも足を怪我して、足鍵盤を派手に使う曲が弾けなくなったため、足鍵盤のない(又は少ない)イタリア物を弾くにはいい機会だと思って、今回に持ってくることにしたのである。ただし致命的な問題は、どうしたってホイマーデンのオルガンはイタリアンな音がしないことなのだが…_ _;
 ほとんど手だけ…ということでかなり油断して、準備がギリギリになってしまった。結構切羽詰って本番を迎えるハメとなった。

 1曲目はベルリー二の「オルガンのためのソナタ」。ベルリーニといえば、オペラ作曲家として超有名なので「え?オルガンのための曲なんて書いてたの?」てな感じだが、実は学生時代の習作が1曲だけあるのであった。ちなみに見事にイタリアオペラをオルガン版にしちゃったような曲で、派手で脳天気に弾けちゃう曲である。コンサートオルガニストの友人に「アンコールに弾いたらウケるよ」と教えてもらった曲だ。
 雰囲気は一転して、2曲目はヴェネツィアのオルガニスト、メルロの「使徒のミサ」より「サンクトゥス」。この時代のものは、慣れていない私には結構弾きにくいが、美しい曲だと思う。一度コンサートか礼拝で、全部のミサ曲を通して弾いてみたいものだ。
 3曲目はヴァレリーの「ソナタハ短調」。マイナーな曲だがとても美しい曲で、イタリアで講習会を受けた時に、先生が「この望郷の感覚、Mamma mia...!」と叫んでいたのが忘れられない。イタリア・オルガンにある、ヴォーチェ・ウマーナの音色の美しさが、この曲をもっともっと美しくしてくれるのだが、どうもホイマーデンのオルガンではこの独特の雰囲気が出ない。それでも精一杯、思いを込めて演奏。
 次はツィポリの「カンツォーナヘ長調」。これは私の十八番であるからリラックスして弾ける。ツィポリもいろいろな曲を書いているが、このカンツォーナは良く書けている曲のひとつだと思う。
 そして、マルティーニの「聖体奉挙」(←ってこれをプロテスタント教会で弾いてしまう私って…^^;)。カトリック教徒にとって、ミサの中の聖体奉挙はまさしく「聖なる瞬間」で、そのことはプロテスタントの私も承知しているのだが、実際に演奏してみるとやっぱり、プロテスタント教徒の私には感覚的に理解できない「何か」があるのをいつも感じる。カトリックの礼拝音楽は美しくて好きなのに、やはりそれだけでは信仰の壁は越えられないということなのだろうか…。
 最後、そしてメインの曲はフレスコバルディの「トッカータ第7番」(1巻)。この曲は、実はチェンバロで習ったのだが、今回オルガンで演奏することにトライしてみたのだ。思ったよりもすんなりと習ったことを思い出したものの、やはり楽器が違うのでいろいろと弾き方を研究しなくてはならなかった。弾き方に関しては、もう少し検討の余地があると思う。

 今回はなんと、前回よりも聴きに来た人の数が多かった。50人以上は確実にいて、惜しみなく拍手を送ってくれたが、私は家に帰る途中で録音を聴いて、また滅入ってしまったのだった。
 音楽を仕事にすることの一番つらい点は、精神的に全然そういう気分でなくても本番をこなさないといけない点ではないかと思う。この1ヶ月、足を怪我して家で腐っていることの方が多かったので、そんなこんなで精神的にも落ち込んでいた。それでもコンサートは容赦なくやってくるので、「落ち込んでいる自分」に負けていては、とても本番がこなせない。
 今回の出来はもちろん絶好調とはいえなかったのだが、それでも落ち込んでいる自分と戦って、ある程度の戦果(?)をおさめたという意味では、コンサートをやってよかったと言えると思う。イタリア物には、また日を改めて取り組んでみたい。

新しいテノールリコーダー

 今日、リコーダーアンサンブルの指揮者Kさんから電話があった。新しいテノールリコーダーを購入したので、ケアをして欲しいというのである。
 木のリコーダーは、プラスチックの楽器と違って生き物であるから、買ってすぐに何時間も吹くと、慣れていないのであっという間に疲れて音が出なくなってしまう。最初は1日5分、そのうち時間を長くして…というように、慣らし吹きをしてあげないと、いい音が出るようにはならない。湿気や乾燥対策に、アーモンド油で管の中を拭いてあげる必要もある。そのケアがちゃんと出来る人間が、他にいないというので私に電話がかかってきたわけだ。高い楽器を任されるんだから責任重大である^^;
 「木曜日の練習時に楽器を託すので、お願いね」と言われてOKしたのだが、つまりKさんは木曜日にアンサンブルの練習をやる気なのだ。肋骨が折れてるのに!!!本番も終わったし、この際少しぐらい休んだらいいのになぁ…と思うのだが、やはりこれは彼女の生きがいなのであろうか…。まぁ、ともかく木曜日に新しいリコーダーを見るのが楽しみである^^

第1回マティネー当日

 いよいよ今日は第1回マティネー。といっても礼拝は普通どおりあって、それが本番直前なので何となく気が散ってしまう。
 礼拝は10時からなので、9時15分ごろからサキソフォーンのB氏と最後の合わせ。テンポが途中で変わらない曲は最初の部分だけ、変わる曲はその部分も入れて、少し長めに合わせる。あっという間に礼拝開始5分前になって、私は礼拝準備に頭を切り替える。いつものように前奏を即興するので、始める前に一番集中力が必要なのだ。
 ホイマーデン教会の礼拝は、我らが牧師の「簡潔でわかりやすく無駄のない」説教(これが3拍子そろった説教というのはすごいとしか言いようがない!芸術の域に入っていると思う)のため、他の教会に比べて短い。10時45分には礼拝が終わり、B氏がオルガンのところにやってきた。調律をしたりしながらひと休憩入れる。オルガンは2階席にあって、そこにはほとんど人がいなかったのだが、1階席の方を見たら意外とたくさん座っていたのでほっとした。

 11時5分前、牧師が「もういいだろう」といった感じで合図して出てきて、挨拶をしてくれた。その挨拶でマティネーをすることになった経緯を説明したのだけれど、「去年、うちのオルガニスト(注:私のこと)が僕のところに来て言うに、礼拝と昼食会の間の空いた時間を埋めるのに、僕が長く説教するか、マティネーを行なうかどっちかにしたらどうだろうというので、即座に『マティネーの方がいいと思う』って答えたんですよ」だそうで(爆、そんなこと言ってないっちゅ~に)。そうやって適当に集まった人を笑わせて、雰囲気を和らげてくれ、このマティネーが今年は継続して行なわれること、また今日の収益の行き先等、肝心なことをアナウンスしてくれた。
 スマトラ島沖地震のことを意識していたため、1曲目はコレルリの「アダージョ」という静かな短調の曲だったのだが、その最中に11時の鐘が鳴ってしまったのは残念だった。やはり11時の鐘が鳴り終わってからマティネーを始めるべきなのだろう。フランソワ・クープラン、ラモー、マルティーニ、ルクレール、グルックの曲を次々に演奏した。上手くいったもの、事故のあったものといろいろで、長かったような、あっという間だったような…。最後はヘンデルだったのだが、あまりにその準備のために時間がかかったので、サキソフォーンが吹き始めると同時に拍手が入ってしまって、もう一度やり直すというハプニングも。
 終わった後、拍手が結構長く続いて、それだけで聴衆が喜んでいることが伝わってきた。実際、この後でみんなから「良かったよ~」「普段あまり聴く機会がない曲ばかりで興味深かったよ~」と声をかけられた。唯一言うなら「オルガンが2階席の後ろにあるから、演奏者の姿が見えないのが残念」だそうで。B氏が冗談で「次の時は祭壇にスクリーン設置して、ビデオカメラで写しながらやろうか」とか言っていたが、確かにパイプオルガンの問題点は「絶対に移動できない」ことかもしれない…^^;

 牧師曰く「マティネーの企画自体、すごく評判がいいよ」とのこと。今回は実は、私も教会のみんなも完全にクリスマスボケしていて、教会の行事予定表には載っていたものの、宣伝らしきことは3日間ぐらいしかやっていないのである。休暇の期間中で、家にいない人も多かった。それでいて、牧師が数えたところによると35人来ていたというからいいスタートである。マティネーだけに来ていた人もいたそうだ。
 更に、昼食会だけに顔を出した人に「ねえ、この次は11時においでよ!マティネーがあるんだよ。今日すっごく良かったよ~」と宣伝してくれている人もいた。ポスターを貼るよりもずっと強力な宣伝方法がこの「口コミ」である。次回マティネーは2月6日、プログラムは「イタリアのオルガン音楽」なのだが、もしかしたらお客が増えるかも!?とちょっとだけ期待。

 マティネーを終えてお腹がぺこぺこになったところで、自分で料理しなくても美味しい昼食を頂けるというのは、演奏者としてと~ってもありがたい。今日のメニューはミートローフと幅広パスタ、マッシュルームのソースつき。デザートにはレモンソースつきチョコムース。しっかりとお味を堪能させていただいた。昼食のご褒美つきマティネーは嬉しいかも(笑)

 と嬉しい成功だったが、マティネーの録音を聴いて、あとで結構滅入ってしまった。「こんな風に聴こえていたのか!!ごめんなさいm(_ _)m」って感じである。昔、大学のオルガンの教授が「オルガンの一番嫌なところは、演奏台ではほんのちょっとしたタッチの違いが、大きな差となって聴衆に届くこと」だといっていたが、全くその通りだと思わざるを得ない_ _;この失敗は、次の時に活かさねばなぁ…。

第1回マティネーの打ち合わせ

 今年はいよいよ、私が企画を担当する「ホイマーデン教会マティネー」が始まる。マティネーとはお昼の公演・コンサートのこと。
 ホイマーデン教会では月に1回、礼拝後に昼食会をする日があるのだが、10時の礼拝のあと12時の昼食まで、少し時間がある。その空いた時間を狙って、私が30分枠のマティネーの開催を提案したというわけだ。第1回は1月9日、サキソフォーンと一緒にやることになっている。どんな風になるのか、どのくらい人が集まるのか、皆目見当がつかないだけに今からドキドキものである。

 さて、コンサート5日前の今日、ようやくサキソフォーンのB氏と打ち合わせ。B氏は私と同じくらいの年代で、ホイマーデン教会の教会役員を務めており、アマチュアではあるがゴスペルバンドなどの活動もやっていてかなり吹ける。だから全く心配せずに、こんな遅くになって打ち合わせなどしているわけだが、さすがに今日は時間がかかった。
 まずはB氏が図書館から借りて、持ってきた楽譜を片っ端から初見で合わせて選曲。クラシックな曲はほとんどが編曲ものだが、なかなか上手くアレンジされている。たまにはどうにも退屈なものがあって、それを候補から取り除いていく。B氏はジャズ系現代曲の楽譜も借りてきていたのだが、これは曲としていまいちだった。本当にいい曲であればプログラムに新風を吹き込んでくれたであろうに、残念である。
 結局、残った候補曲は9曲。もう一度ざっと合わせながら、1曲1曲の時間を計って合計してみたら、全部で31分という結果が出た。練習したあとでテンポの取り方が変わるかもしれないし、曲と曲の間に少し間が必要なことを考えると、少し長めだがなかなかいい感じである。
 問題は曲をどうやって並べるかなのだけど、B氏は遠慮してるのか「僕よりあなたの方が経験を積んでるだろうから」とか言って、全然意見を言ってくれない。ドイツ人にしては珍しいというべきなのか、専門家を尊重するという意味ではドイツ人らしいというべきなのか、ともかく何にも言ってくれないので私は内心頭を抱えてしまった。曲の性格や調性を考えて「この曲はこんな性格だから最初にどう?」とか、きちんと私の考えたことを伝えて、B氏がどう思うか聞きながらようやく一応並べたが、土曜日の最後の合わせの時に一通り演奏してみてもう一度考える、ということになった。
 結局、ここまで2時間半もかかってしまい、もう少し短く終わるかと思っていただけにびっくりした。でも、そんなものかもしれない。

 このマティネーは入場無料であるが、入場無料のコンサートでも必ず、聴く人が何かしらお金を置いていくのがドイツの常である。今回の第1回マティネーでの収入を、スマトラ島沖地震での津波の被災地支援のために寄付したい、と思い立ち、B氏に相談したら「うん、いいアイディアだと思う」と言ってくれた。あとは牧師と他の役員とに話を通すだけだが、もし事前に何か役員会で決まっていたのでなければ大丈夫だろうと思う。もっともいくら収入があるかは全くわからないのであるが、雀の涙であってもお役に立てるなら嬉しく思う。

後戻りはできないのね^^;

 1月1日、新年礼拝。年末のスキーで右足をいためた私であるが、そこは何せ元々ピアニスト。「奏楽の仕事を始めたとき同様、手だけで弾けばいいのよね」とタカをくくっていたのだけど…

 前奏はいつものように1番目の讃美歌を即興。今日の讃美歌はEG158番「おおキリストよ、明けの明星よ」。いつもなら派手で元気な即興をしてもいいところだが、年末にスマトラ島沖地震の津波で大災害があったばかりで、世界中がいわば「喪に服している」状態での年明けである。私も礼拝出席者もとてもそういう気分ではない…と判断し、暗闇に星の光が輝いているイメージで、黙想が出来るような静かな即興にした。この時は足鍵盤も動きがほとんどなく、左足だけで弾いていた。
 しかし、讃美歌の伴奏を始めた時に自分でも驚いた。足が勝手に動くのである!!伴奏のバスの動きが足の動きとして反射的に出て来ているのだ。
 ドイツで教会音楽の専門教育を受けると、即興の授業で「伴奏譜なしで」讃美歌の伴奏をする訓練をさせられる。讃美歌のメロディーだけを見てそれを和音進行として把握し、その和音を両手と足に分けて弾くという、ある意味器用なことを自動的にやれるようになるための訓練である。これに慣れていろいろなパターンの和音づけができるようになると、もう伴奏譜は退屈で使えなくなる。私もご多分に漏れず、もう何年も伴奏譜は使っていない。
 私は結構長いこと、足鍵盤を使うのが怖くて手鍵盤だけで和音づけをして伴奏していたのだけれど、それでは大学の試験に通らないので、おそるおそる足を使い始めた、という過去がある。今も足鍵盤を使うことに一番自信がない。だから逆に足を痛めても、礼拝の仕事は問題なく出来ると思っていた。だが今回、いつの間にやら訓練の成果が出ていて、足の動きがきちんとインプットされているのを実感した。自分でも正直なところ驚いたと同時に、後戻りは出来ないんだなぁと感じた。やっぱり足は使えた方がいい!!気をつけて、早く治そうと思う。