さいちゃんの教会音楽な日々 -6ページ目

オルガンレッスン 第1回目

 空港での合唱の出番をこなした帰り、いよいよ久しぶりのオルガンレッスンである。曲はJ.S.バッハの「前奏曲とフーガハ長調BWV547」。本当は出番で疲れきった日にレッスンなんかぶつけたくはなかったのだが、そんなこと言ってたら時間が取れない。働いているというのはこういうことなんだなぁ(苦笑)
 で、フーガの方はまだ最後の3分の1しか出来ていないので、まず前奏曲の方を弾く。こちらはもう何回か礼拝やコンサートで弾いているから、一応それなりに自信はあったのだが、しかしモノはJ.S.バッハ。ちょっとした集中力の乱れとかで、あっという間に弾けなくなってしまう危険はいつもある。
 何とか最初から最後まで弾き終えたが、何だかガシャガシャした落ち着きのない演奏になってしまった。先生の第一声は、「ヴィルトゥオーゾに弾いたねぇ」。そこで、言われる前に「でも落ち着きのない演奏だったよねぇ」(注:実は先生とは前から仲良しで、duzen(敬語を使わない関係)なのである^^;)と言ってみたら、あっさり「うん、そう聴こえた」と言われてしまった(爆)
 で、先生の指摘は「それって、タッチの問題だと思うんだけど…?3つ組になっている8分音符の最後の音とか、16分音符の最後の2つとか…」 !!…というわけで、大作業のスタートである。最初の方のいくつかの箇所のアドヴァイスを受け、少しテンポを落として、出来る限り気をつけてもう一度弾いてみたら…


 本当だ…@_@;


 なーんと、演奏している自分の気持ちの方もちゃんと落ち着いたではないか。「そう、そう、それでいい。突然ものすごく音楽的な演奏になったよ!」と先生。
 落ち着きのない演奏になる理由を、うっかり精神論で片付けそうになっていた私にとって、これはものすごい

 新発見
かつ大発見

 であった。つまるところ、私の雑なタッチが原因というわけだ…(滝汗)
 更に先生曰く、「この曲って、僕にとってはヴィルトゥオーゾな曲じゃないんだよね~。なんていうかとっても女性的な、まーるい感じの曲で、尖ったところがない曲なんだよ。あんまり速いテンポだと、そうは弾けなくなっちゃうよね。」
 …それって致命的な指摘ぢゃないですか_ _; つまり私の演奏って、

 スピード違反の大暴走


 ってわけですな(爆) ←私が運転免許を持っていないのは神の恵みに違いない(自爆)

 フーガの方は進捗状況を説明し、最後の5声部分だけ弾いた。幸いにして、先生は私の悪戦苦闘ぶりに心から理解を示してくれた。「このフーガはね~!弾く度に一から作業しなおさなければならない曲の1つだよね。本当に難しいよ。」 続けて譜読みしなさいよ、というのと同時に、「でも16分音符のタッチをよく考えてね」というのを忘れなかったわが師匠であった^^;

 いやぁ…。これだからレッスンを受けるのは重要なのである。初回から思いっきり、的のど真ん中を射抜く指摘をされ、うわっ^^;と思うと同時に、はっきりわかったのは


 だからこの先生は、私が選んだ先生なのだ!


 …ということ。的のど真ん中を射抜く指摘は、誰にでも出来るものではないのだから…(^^)
 まだ手と足が一緒に動かなくてじたばたしていた初心者の私を、教会音大の入試レベルまで持っていってくれた先生である。それだけでもいい思い出たっぷりだったのだが、今後もたくさん学べることがありそうだ。

 ところで、レッスン後に「次にやるの、何の曲がお薦め?」と聞いてみた。先生には意外な質問だったらしく、目をぱちくりさせて「えっと、どんな時代(スタイル)のものが弾きたい?」と聞き返してきた。それで「可能なら何でも」と答えた後で、「例えば前に購入した楽譜で、こんなのがあるんだけど」と、用意していったデュプレの「コラールとフーガ op.57」の楽譜を取り出した。「前にコンサートで一度聴いて弾いてみたいと思ったんだけど、うちの教会のオルガンじゃ全然合うストップがないので、嫌になって途中で放り出しちゃったんだよね」と白状したら、「あー、それはわかる。やっぱり合う楽器で弾く機会がないと、やる気出ないよねぇ。」と共感しながら楽譜に目を通してくれて、「うん、僕はこの曲弾いたことないんだけど、持ってきていいよ。デュプレはテクニック的にはそんなに演奏困難ではないし、可能だと思う。」と言ってくれた。
 「あとは?」と聞いてみたら、先生もちょっと考え、おずおずと切り出したのが…


 「リストなんかどう?」


 リストキタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━(  ゚)━(  )━(  )━(゚  )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!! いや、実はリストは先生の十八番なのである。
 「リスト」にはいわくつきの過去(?)があるのだ(先生が覚えているかどうかはわからないが)。私が教会音大の入試に受かった後、大学が始まるまで時間があったので、それまで先生にお願いして続けてレッスンしてもらったのだが、その時やる曲として強く薦められたのがリストの「B-A-C-Hの主題による前奏曲とフーガ」だったのである。
 げっ@_@; それは初心者に薦めるべき曲なのかい!!!と思った私は、へらへらごまかしながら(?)もう1つのお薦めだったフランクの「コラール第3番」に逃げ、弾かずに済んだと思っていた。が、その後大学で師事した教授が卒業試験用の選曲にあたって、「あなたにぴったりの曲がある。それはリストの『B-A-C-H』」と嬉しそうに提案してくれたおかげで、結局逃げるどころか卒業試験のメイン曲となってしまって今に至る_ _;
 というわけで、私のオルガン人生に背後霊のように付きまとう(ぇ?)リストなのであるが、再び出現である。そこで、先手を打って「B-A-C-Hは卒業試験で弾いたけど?」と先生に言ってみたら、「それじゃ、『Weinen, Klagen...』はどう?」だそうで…^^;
 来ると思った…!が、ある意味歓迎である。実は私、リストは「B-A-C-H」より「Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen」(「泣き、嘆き、悲しみ、おののき」)の方が好きなのだ。「B-A-C-H」はリストの指の回転ぶりをひけらかした作品という感じで、おっそろしく派手でカッコイイけれど表面的なのだが、リストの人生のもっとも困難な時期を乗り越えて書かれた「Weinen, Klagen...」は、それとは音楽的な深さが全く違う。弾いてみたいと思って試したこともあるが、何せユニバーサル版で19ページもある大曲だ。あちこちかじってはみたのだが、根気がなくてそのままになっていた。先生にお尻を叩いてもらって、弾けるようにするチャンス到来である^^; ま、一朝一夕にはいかないけどねぇ。

 あと、「ペトル・エベンの作品が前から気に入っていて弾いてみたいと思ってるんだけど、初めて弾くのにいい曲はない?難しいっていうイメージがあるんだよね」というかなぁりマニアックな質問(^^;)をしてみた。ペトル・エベンは合唱曲やオルガン曲をたくさん書いているチェコの現代作曲家で、教会音楽界では有名な作曲家だ。先生がときどき弾いているのを知っていたので、的確なアドヴァイスが出来ると予想しての質問である。
 「エベンが難しいのは、むしろ最初だけだと僕は思う。右手と左手が別の調で書かれているから、手が慣れてなくて、書いてあるのと違う風に弾きたがるから難しいんだよ。でも、慣れてしまえば逆に大丈夫。」と説明してくれた上で、「聖書による4つの舞曲」と「日曜日の音楽」を薦めてくれた。楽譜を入手せねば。

 初回から収穫たっぷりのレッスンで、満足して帰路についた私だった。もっとも、やることはいきなり山積みになったけどねぇ(滝汗) 一気にやろうとしても無理なので、少しずつ、でも着実に学びたいと思う。

わぁ~い(^o^)

 レッスンにもって行く予定の、J.S.バッハのフーガハ長調(BWV547)の



 難関の5声部分を突破!(^o^)



 …って、まだフーガ全体から見ると最後の3分の1の譜読みが終わっただけなんだけれど、それにしてもこれで全部弾ける見通しが立ったので、ブログで叫びたくなったのである(爆)

 にしても、バッハってやっぱおそろし~。5声のポリフォニーを、一人で弾けっていうんだもんなぁ。しかもバッハのことだから、各声部に大技小技をちりばめてあるし。
 例えるなら、一輪車で綱渡りをしながら、3本の火のついたスティックでお手玉し、それに加えて口に棒くわえて皿回ししなさいって書いてあると思っていただくといいかと^^; 指示を読み飛ばして技を行わず、なんとなく弾いてしまえばそんなに難しくないのかもしれないが、バッハの指示通り弾こうとするとこれはエライことである。
 てか、凝り過ぎだよ~!なんつー曲書くんだよ、バッハさん(爆) 技連発のところなんか、3小節進むのに2時間かかったんだからっっ!!(←バッハに「アンタがのろいだけだ」といわれたらグウの音も出ないが_ _;)


 というわけで、今夜はよく眠れそうです(^o^) ←単純^^;
 でも、練習で帰りが遅くなったので、明日寝過ごさないように気をつけねば~~~(汗)

恩師と再会!

 大学入試前にお世話になった、オルガンの先生と再会した。
 …というか、実は再会自体は先生のコンサートを訪れる形で、11月に果たしていたのだが…今日は教会音楽を勉強したくて、日本を出てきた勇気ある(!)受験生を、先生に紹介しに行ったのである。
 何はさておき、すぐに先生に受験生のオルガン演奏を聴いてもらうことに。私が数回レッスンした状態の曲を2曲弾いたのだが、先生は気に入ってくれたみたいで、二つ返事で受験までのレッスンをOKしてくれた。よかった~~~(^^) 私も先生になら安心して託せるし。

 久々に先生がレッスンしているのを聞いて、やっぱりこの人、私の先生だ…!と思えたところがたくさんあって、おかしかった。同じ曲を私もレッスンしたわけだけど、ツッコミどころがかなり一致してたり(笑) それでいて、意見の違いとかもあってまた興味深いわけだけど。
 そして何より、私の入試前に思う存分(?)発揮してくれた、先生節(←独特の言い回しとか^^;)は健在であった…(大爆笑) 懐かしいような、嬉しいような^^

 そうして、私自身も1月28日からレッスンを受けられることに(^o^)
 「何やる?」って聞かれて、とりあえず今やってるJ.S.バッハのプレリュードとフーガハ長調持ってくるよ、といってみたが、フーガの譜読みは実はこれから。頑張らねば~。
 私の方は、レパートリーを増やすことが主目的。幅広く、いろんな時代のいろんな形式のものをやってみたい。プラスして、もちろんテクニックの問題点とかが出てきたらそれに取り組んでいくわけだけど。
 ただ実際問題として、一番努力しなくちゃならないのは「練習時間の捻出」かもね~(汗) 学生の時のように、練習だけに時間をかけられる身分ではもうないわけだから。

 社会人として「学び続ける」ことは難しいけれど、仕事を始めると自分の実力不足に気付かされ、学ぶ必要性を痛いほど感じるのも事実。学生時代よりはるかに少ない「学ぶチャンス」が来たら、絶対に逃してはならない…と自分に言い聞かせて歩んできて、約3年。また新たなチャンスが得られて、とっても嬉しい♪

 ユダヤのことわざに、こんなのがあるそうだ。
 『あなたが知識を増やさないということは、実は知識を減らしていることになる』
 知識を劇的に増やすことができなくても、せめて知識を減らさないようにしたいものだと心から思う。

着々と…♪

 今年の計画・企画が進みつつある~~♪
 年が明けたばかりなのに、今年はペース速いなぁ。でも、そんなに順調にばかりいかないのが人生(!!)だから、気をつけなくちゃ。(基本に忠実に、慎重に…!!)

1.2月のマティネーの演奏者決定
  なんと、ヴュルツブルク音大で勉強中の、イタリア人のオルガニストがソロを弾いてくれることに。報酬が出ないのに、試験前にその曲をどこかで弾いておきたいから、と名乗り出てくれた。ありがたいことですm(_ _)m
  ただし、びっくりなのはそのオルガニスト君、何とホイマーデンのあの小さなオルガンで、ロイプケの大曲「詩篇94篇」を弾くとのこと…@_@; どんな風になるのか、かなーり興味津々。ただ、ストップの操作はアシスタント泣かせになることはほぼ間違いない…。あ、いえ、タダで弾いていただけるのですから、もちろん私がやらせていただきますとも、ええ(汗)

2.コンサートで弾いてくれるオーケストラを獲得
  シュテックフェルトの合唱団と、秋にオーケストラつきでハイドンのミサ曲他を上演しようと目論んでいたのだが、アマチュアオーケストラを獲得。ただし、予定していた日程とオーケストラの日程とが合わないため、調整が必要。明日の合唱団の会議にかける予定。

3.オルガンのレッスン再び
  レパートリーを増やしたり、練習する刺激が欲しくて、1ヶ月に1回でもいいからオルガンのレッスンを受けたいなぁ…と前から考えていたのだけれど、入試前まで師事していた先生と連絡を取ったら、あっさりOKが。おまけに月1回ならホイマーデンの教会がレッスン代を払ってくれるとのこと。(その上、先生は「教会が払ってくれるならともかく、君からはレッスン代取らない」って言ってくれた…。感涙!) バンザーイ(^o^)
  先生とは別件で月曜日に会うので、その時にレッスン日を決めることとなりそう。

 夏休み前までのホイマーデンのオルガン奏楽で、私がいない日の代役もすでに全部見つかった。シュテックフェルト合唱団の予定も、夏休み前までは大体決まっているし…幸先いい、かな??
 空港合唱団も、急遽1月28日の「空港カウンセリングセンター10周年記念礼拝」で何か歌おうということになり、今日から慌てて練習を始めたところ。1曲だけだけど、うーんどうかな。なんとかなるかな(滝汗)

 …と新年早々、順風満帆に見えるので慎重にいこうと思っているところ。こんな風にまた1年が動き始めて、夏休みで一息つけるもののバタバタとして、今年もまたクリスマスシーズンをもって力尽きる(^^;)のであろう、なんて予想がついてしまうのだった…^^;

あけましておめでとうございます。

 毎年のことながら、ドイツも日本より8時間遅れで年が明けました。今年もよろしくお願いしますm(_ _)m
 花火をあげて派手に祝うヨーロッパの年越し。風邪引きな私は家にこもっていましたが、6階にある見晴らしの良い自宅は花火見物の特等席!窓辺でシャンパン片手に、のんびり楽しませていただきました。
 携帯電話で撮影したのでものすごく画質が悪いですが、短い動画をどうぞ。
 


 さて、元旦イコール仕事始め。朝10時から新年礼拝。
 2008年初の前奏は、4声のフゲッタを即興。讃美歌のメロディーの出だしを用いてテーマを始め、属調に転調してそれを模倣、また元の調に戻って…と、我ながらおそろしく基本に忠実。でも、その「基本に忠実」の重要性をつくづく感じる今日この頃で…今年の抱負は


 「基本に忠実にいこう」


 ……うーん、無茶苦茶地味……!?もうちょっと夢があったほうがいいかしら^^;
 ちなみに今日の説教からの情報によると、シュトゥットガルトのローカル新聞による昨年末の調査で、「新年の抱負」が達成された人はたったの3%しかいなかったのだそうである。ってことは、私のこの抱負も高い確率で達成されず、基本はどこかへ吹っ飛んでしまう確率が高いということかなぁ(苦笑)

 今日の説教の聖書箇所は今年の年間聖句だった。ヨハネによる福音書14章19節。


 "Ich lebe, und ihr sollt auch leben."
 (私は生きている、そしてあなた方も生きるべきだ。)




 う~ん、意味深。ものすごく示唆に富んだ年間聖句である。「生きる」はもちろん、肉体的に生きているかどうかだけを意味しない。心の問題ももちろん含む。

 D牧師は説教の中で、こんなことを言っていた。
 「心臓(Herz)が血液を送り出すポンプの役割を十分に果たすには、しっかりしていなくてはならないが、心臓が硬くなってしまったら伸縮できなくなってしまう。私たちの心(Herz)もそれと同じ。『生きる』ためには、思いがけぬ出来事に驚いて反応したり、焦ってドキドキと速く動いたりできる、しっかりとしているが柔らかいHerzが必要なのである。」
 ドイツ語で「心臓」と「心」とが同じ単語であることを利用した説明だが、確かにその通りだと思う。柔らかくてふにゃふにゃでも、硬くて柔軟性がないのも、どちらも健康に「生きる」には不十分なのだ。
 ……これって、「心臓」も「心」もそうだけど、「信仰」もそうだよねぇ^^; 人のいうことや周りの環境に左右されてふらふらする信仰も、教義にガチガチに凝り固まったり、自分の信じている内容に固執する信仰も、どちらも私たちの「魂」を生かす信仰にはなりえない。

 "Ich lebe, und ihr sollt auch leben."

 強引にこじつける(?)と、この言葉も「基本に忠実に生きる」ことを示してはいないだろうか。「自分は生きている、そして他の人も生きるべきである」と受け止めれば、自分も他人も共に『生きる』道を模索することになる。また、これはイエスの言葉であるから、「イエス(もしくは神)は生きている。そして、私たちも生きるべきである」と受け止めれば、神との関係において自分が『生きる』状態を、自分の手で邪魔しないことが求められる。(もちろん、他人の『生きる』状態を邪魔してもいけない。)
 他にもいろいろな考察の出来そうなこの年間聖句、大切に心の掲示板に貼り付けて、ことあるごとに眺めて考えてみたいと思う。