あけましておめでとうございます。 | さいちゃんの教会音楽な日々

あけましておめでとうございます。

 毎年のことながら、ドイツも日本より8時間遅れで年が明けました。今年もよろしくお願いしますm(_ _)m
 花火をあげて派手に祝うヨーロッパの年越し。風邪引きな私は家にこもっていましたが、6階にある見晴らしの良い自宅は花火見物の特等席!窓辺でシャンパン片手に、のんびり楽しませていただきました。
 携帯電話で撮影したのでものすごく画質が悪いですが、短い動画をどうぞ。
 


 さて、元旦イコール仕事始め。朝10時から新年礼拝。
 2008年初の前奏は、4声のフゲッタを即興。讃美歌のメロディーの出だしを用いてテーマを始め、属調に転調してそれを模倣、また元の調に戻って…と、我ながらおそろしく基本に忠実。でも、その「基本に忠実」の重要性をつくづく感じる今日この頃で…今年の抱負は


 「基本に忠実にいこう」


 ……うーん、無茶苦茶地味……!?もうちょっと夢があったほうがいいかしら^^;
 ちなみに今日の説教からの情報によると、シュトゥットガルトのローカル新聞による昨年末の調査で、「新年の抱負」が達成された人はたったの3%しかいなかったのだそうである。ってことは、私のこの抱負も高い確率で達成されず、基本はどこかへ吹っ飛んでしまう確率が高いということかなぁ(苦笑)

 今日の説教の聖書箇所は今年の年間聖句だった。ヨハネによる福音書14章19節。


 "Ich lebe, und ihr sollt auch leben."
 (私は生きている、そしてあなた方も生きるべきだ。)




 う~ん、意味深。ものすごく示唆に富んだ年間聖句である。「生きる」はもちろん、肉体的に生きているかどうかだけを意味しない。心の問題ももちろん含む。

 D牧師は説教の中で、こんなことを言っていた。
 「心臓(Herz)が血液を送り出すポンプの役割を十分に果たすには、しっかりしていなくてはならないが、心臓が硬くなってしまったら伸縮できなくなってしまう。私たちの心(Herz)もそれと同じ。『生きる』ためには、思いがけぬ出来事に驚いて反応したり、焦ってドキドキと速く動いたりできる、しっかりとしているが柔らかいHerzが必要なのである。」
 ドイツ語で「心臓」と「心」とが同じ単語であることを利用した説明だが、確かにその通りだと思う。柔らかくてふにゃふにゃでも、硬くて柔軟性がないのも、どちらも健康に「生きる」には不十分なのだ。
 ……これって、「心臓」も「心」もそうだけど、「信仰」もそうだよねぇ^^; 人のいうことや周りの環境に左右されてふらふらする信仰も、教義にガチガチに凝り固まったり、自分の信じている内容に固執する信仰も、どちらも私たちの「魂」を生かす信仰にはなりえない。

 "Ich lebe, und ihr sollt auch leben."

 強引にこじつける(?)と、この言葉も「基本に忠実に生きる」ことを示してはいないだろうか。「自分は生きている、そして他の人も生きるべきである」と受け止めれば、自分も他人も共に『生きる』道を模索することになる。また、これはイエスの言葉であるから、「イエス(もしくは神)は生きている。そして、私たちも生きるべきである」と受け止めれば、神との関係において自分が『生きる』状態を、自分の手で邪魔しないことが求められる。(もちろん、他人の『生きる』状態を邪魔してもいけない。)
 他にもいろいろな考察の出来そうなこの年間聖句、大切に心の掲示板に貼り付けて、ことあるごとに眺めて考えてみたいと思う。