さいちゃんの教会音楽な日々 -8ページ目

。・゚・(ノД`)・゚・。 (愚痴)

明日の17時からデーガロッホ教区の教会音楽家会議が予定されていて



せっかく仕事とか調整して時間空けてあったのに




今朝、教区トップの教会音楽家から直々に電話があって





話し合いのネタがないから 中止





だって_ _;




金曜日の分の仕事を他の日につめ込んで、へろへろになりながら頑張ってた私の苦労は一体なんだったの? 。・゚・(ノД`)・゚・。

引っ越し&新しい教会


 皆様、お久しぶりですm(_ _)m 約4ヶ月ぶりですみません。


 実は教会大会が終わった直後に、急に住居が見つかり、引っ越しをいたしました。

 リアルの私の持ち物の多さを知っている人は、この引っ越しがホラー映画も真っ青(!?)だったことは、容易に想像がつくと思います_ _; 前の住居の契約上、解約まで3ヶ月両住居を借りていたにも関わらず、旧住居の物を整理して運び出し、掃除や簡単な修繕を終えるまでに、その期間をいっぱいいっぱい使い切ってしまいました。
WZ-Tee  というわけで、少し仕事場のホイマーデン教会に近くなった新住居より…。この写真の居間のテーブルに、ノートPC乗っけて更新中(笑)

 家の扉の前が市電の停留所で、道路を挟んで向かいに大手格安スーパー。またまた最上階ですが、小さいながら3部屋で、明るく見晴らし&風通しのよい住居。

 唯一の欠点は… その最上階というのが、日本でいう6階で、エレベーターなしというところ…。おかげで、毎日出かけるだけで、帰りにはもれなく無料で足を鍛えられます(爆)

 何より、しょっちゅう顔を出し、オルガンの練習もしているホイマーデンに近くなったというのは本当に楽。今まで夜の11時まで練習すると、帰りが早くて0時だったのが、今は11時半には家に着いている…というのは嬉しい。他の仕事場は、必ずしも近くなったとは言えないけれど、何せ家の前が電車の停留所。どこへ行くにも、便利!!なのはありがたいです。


 さて、ここからはいつものブログ執筆モードで。

 この新住居、シュトゥットガルトのヴァンゲンという地域にあるのだけれど、市内の引っ越しといえど住んでいる地域が変わったため、教会の会員籍も別の教会へ移動した。

 …と書くと、日本の(特に)プロテスタントのクリスチャンにはなんのことやら、チンプンカンプンだと思う。ドイツ国教会(厳密に言うと州教会なのだが…)の場合、住民登録している地域の教会に会員籍が置かれている。つまり、違う地域に住民登録が移動すると、教会の会員籍も自動的に移動するのだ。

WangenGH というわけで、登録上は8月からヴァンゲンのミヒャエル教会会員になった私なのだが(働いているホイマーデン教会会員でもないところが州教会の面白さ^^;)、さすがに会員籍を置く教会に行ったことがないというのもどういうものかと思ったので、古い話になるが引っ越し休暇を取っていた8月12日(日)に早速礼拝に行って来た。

 会堂が素敵な教会だと聞いていたのだが、月の第二日曜日の礼拝は会堂ではなく、集会所で行われるのがこの教会の常らしい。更にこの日の礼拝は、教会集会所が修築中のため、向かいにある教会系カルチャーセンターの一室で行われた。(写真左がそのカルチャーセンターの入り口、右奥が本来の教会集会所)

 建物に入ったところで、白の牧師服に緑のストール(首掛け)をつけた小柄な女性が挨拶し握手してくださった。会員数約2800名のミヒャエル教会には2人牧師がいて、JW牧師(男性)とAW牧師(女性)である。この日の礼拝は聖餐式つき。特別な時にしか着ることの許されない白い牧師服にきっちり身を包んだAW牧師に、大切な伝統をきちんと守る姿勢が感じられ、好感が持てた。
WangenGD  集会室の入り口から中をおずおずと覗き込んだ私を、会堂の管理をしているおばさんが握手で暖かく迎え、讃美歌集を手渡し、「さあどうぞ」と肩に手を添えて中へ導き入れてくれた。初めての教会で、こういう風に迎えてもらえるとホッとする。

 夏休み中の礼拝だというのに、思ったよりずっと座席は埋まっていた。(写真はもちろん、礼拝後に撮影したもの。)50名位座れるようになっていただろうか。私は祭壇に向かって左側の後ろの方に座ったのだが、私の後にも続々と人が入ってきて、礼拝開始までには最前列以外、空席を探すのが難しいぐらいになった。最後に、牧師が入ってきて、最前列に座った。前奏が始まる。もちろん、奏楽はピアノで、年配の男性が弾いていた。

 礼拝の形式は、州教会であればどの教会も大体同じであるから、戸惑うことはまずない。ごく普通の典礼で礼拝は進み、説教は創世記のアダムとイヴの楽園追放の箇所についてであった。私たちは自分たちの「庭」を手入れして大切にするが、それはエデンの園への回帰への憧れなのではないか…というところから話が始まる。何の心配もせず働かず、神に養ってもらうことへの憧れ…。しかしそのエデンの園への道は剣によって閉ざされている。

 ただし、エデンの園への道が閉ざされているということ=神は我々を見捨てた、ということではない。庭に実るリンゴやくるみは、その神からの恵みを表してはいないのだろうか。神は我々が「エデンの園」ではなく、この苦しみ多き世界で生きることを望んでおり、その人生を祝福される…というのが、大雑把な内容であった。ドイツ人が大切に手入れする、身近な「庭」から話を始めて聖書の世界へ導く展開が上手いなぁ…と感心させられた。

 そして聖餐式。新しく会員になった教会で参加した礼拝が、たまたま聖餐式礼拝だったというのはとても象徴的である。聖餐には、「食事を共にする」者同士のつながりを確認する意味もあるので、新しい会員にとって、その教会の一員として受け入れられたという意味合いを持つからである。

 それだけではなく、オルガニストとして普段聖餐を受ける機会がほとんどないので、純粋に聖餐式に参加できるというだけでも嬉しい。パンとぶどう酒を、ありがたく牧師から受け取り、味わっていただいた。


 礼拝後、一番最後に集会室を後にして、出口で一人一人と握手して見送っている牧師に、「引っ越してきました」の挨拶をした。「実は教会音楽家で、ホイマーデンでオルガニストをしています」という一言で、「このアジア人誰かしら?」と不思議そうな顔をしていた牧師の最初の「?」が解けたようだ。ピアノを弾いていたオルガニストのS氏も交えて、「どこの国の出身?」「ヴァンゲンのどこに住んでいるの?」等いろいろ聞かれ、最後に「仕事であまりこちらの礼拝には来れないですが、また空きの日に来ます。」「早く新しい環境に慣れて下さいね」と挨拶を交わし、礼拝の行われた建物を後にした。

WangenMK いい天気だった。このまま家に帰るのはもったいないので、教会の会堂へ足を運ぶことにした。教会は、坂を上ったところにあると聞いていたのだが…住宅街を抜けるこの坂が、意外と急で驚いた。なぜ月に一回、礼拝が集会所で行われているのかわかるような気がした。足の悪い人には、この坂を上るのは無理だ…_ _;
 道がわからないまま歩いているせいもあって、本当にこれであっているのか不安に思いつつも、途中で鳴った教会の鐘の音に勇気付けられて歩いていたら、突然視界が開けて教会が見えた。あと一息…!まだ上り坂は続くけれど(汗)WangenMK2







WangenFH


 ホイマーデン教会より一回り大きな、古い教会にたどり着いた。何でも、1250年前後に建てられた教会だというから、1500年前後に建てられたホイマーデン教会よりずっと古い。そして、古い時代の教会そのままに、墓地つきである。明るくてよく手入れされた、きれいな墓地と教会…。絵になる光景に、上り坂の疲れはどこかへ吹っ飛んでしまった。

 今日は会堂で礼拝もなかったことだし、中には入れないだろうなぁ…と思いつつ、ダメでもともと、教会の横の扉に手をかけて引っ張ってみたら…開いた!!プロテスタントの教会では、会堂は開放していないのが普通だが、散歩に来た人達がふらっと立ち寄れるよう、少なくとも夏季は鍵を開けてある教会が結構あるのだ。こういう教会を見かけると、入ってみたくなるのは私だけではないらしい(笑)
WangenMK3 そして…中がまた圧巻。上の天使のうち、少なくとも片方はこの教会の名前になっているミカエルなのではないだろうか。高い窓から差し込む光の具合が、またなんともいえず美しい。

 大体紀元後1000年前後の戦争の時代に、強い守護聖者にあやかりたいという望みを反映して、剣を持つ天使ミカエルの名を持つ教会がここに建てられたのが、この教会の前身だという。当時の建物はなくなったが、代わりにこの建物が建てられ、名前をそのまま引き継いだのだそうだ。

 こんなに長い歴史を持つ教会の会員になったとは知らなかった。古い教会が大好きな私は、驚き喜びつつ会堂内をあちこち(勝手に)見せてもらったのだが…



 …当然、最も大切なのはこれ。



WangenMKOrg

 2階席にはさすがに上がれなかったので様子はわからないが、結構大きなオルガンなんじゃないだろうか!?歴史的に価値のある楽器だとは思わないけれど、それなりのストップ数を備えた楽器のように見える。



 わ~~い♪ 弾くのが楽しみである。 ←ちょっと待て、勝手に弾く気になってていいのか_ _;



明日から教会大会!(予習編)

 4月24日のエントリ でちょっと触れたように、明日からケルンにてドイツ福音主義教会大会が行われる。この間、仕事への行き帰りの電車の中でプログラム冊子を眺め続けて、ようやく参加したいプログラムに目星をつけたので、私の頭の整理と予習(?)を兼ねてここに書き出してみることにする。


 6月6日(水) 17:30より開会礼拝。ケルンの大きな広場4箇所に分かれて野外で行われ、うち1箇所では知的障害を持つ人や子どもたちにもわかるような「易しい言葉」で礼拝を行うとのこと。説教の聖書箇所はヘブライ人への手紙4章12~13節。私がどの会場で礼拝に参加するかはまだ未定。(最初はメイン会場と考えていたのだけど、背の高いドイツ人に囲まれると埋もれちゃって何も見えないからなぁ…_ _;)礼拝後、ケルン市長や大司教(無論カトリック!)の挨拶等が予定されている。その後街中で歓迎のスタンドが出たりするらしいが、私は早めにホームステイ先へ行って、そこの家の人と交流を図る予定である。


 6月7日(木) 9:30より聖書講釈(マタイによる福音書4章1~11節)。何十人という牧師や神学者が、この時間にあちこちの会場で、一斉に同じ聖書の箇所の講釈を行うのだ。是非話を聞きたいお目当ての神学者や牧師がいたらそこへ行くのもいいが、大体はその後参加したいプログラムを決めて、移動に手間取らないところでの聖書講釈を聞くことになる。

 11:00より「自由な霊で聖なるテキストを」という題の講演へ。聖書を四角四面に読めば、人間の体験にはそぐわないものになってしまう。一方であまり自由に考えすぎると、聖書の言葉は人間に歩むべき方向性を示すものとなりえない。キリスト教教育の専門家が、この問題を正面から取り扱った講演を行うとのこと。

 15:00より「死の前の生」。復活等を含め、死後生のことばかり口にするクリスチャンも多いが、死によって終わる今の生を取り扱おうという催し物である。神学者、心理療法士等を交えたディスカッション、「信仰は生と死において、何の助けになるのか?」と題した組織神学者の講演等が予定されている。

 20:30より「夕べの祝福 共にいてください」。人生の助けになる様々な言葉を本やCDにして出版しているアンゼルム・グリューン神父と、スイスのリコーダー奏者ハンス・ユルゲン・フーフアイゼンによる音楽と言葉、そして沈黙のひととき。


 6月8日(金) 9:30より聖書講釈(エレミヤ書23章16~32節)。余談だが、分厚い聖書を持ち歩かなくてもいいように、使われる聖書箇所はプログラム冊子に印刷されている。しかも、ドイツで伝統的に使われてきたルター訳聖書(1984年改訂版)と、今回の教会大会用にわざわざ聖書学者の手で行われた、いわば最先端の翻訳との両方が掲載されているという親切さだ。

 11:00より「聖書とファンダメンタリズム」。一体、聖書を「言葉どおりに」解釈するとはどういうことなのか、何が「聖書に忠実」なのか…。その辺のテーマで、「言葉どおり」を強調する福音派教会の代表者も招いて、講演とディスカッションが予定されている。

 15:00より「音楽は説教よりいい?」という、教会音楽関係のディスカッションがあるのだが、そう興味もないので最初だけ顔を出そうと思っている。ディスカッションそのものよりも、その催し物での音楽担当が私の大学時代の同僚なので、「おーい元気?」と声をかけに行くのが目的だったりして…(笑)

 途中で抜けて、16:00より「人生を変える言葉」。またグリューン神父登場、電話カウンセリングを行っている神学者や、シスターと対談するらしい。実例を体験談として聞くことができると思われる。

 19:30より「魂の変化 沈黙からエクスタシーへ」。まずは心理学者による講演があり、そのあと「霊的体験」を専門に取り扱っている人や、ゴスペル歌手の体験談等が続き、さらに神学的位置づけへ…という流れでこのテーマを取り扱うらしい。私は個人的に、「魂のエクスタシー」という現象は、たとえ祈りや讃美歌を歌っている最中にそうなったとしても信仰とは全く関係がないと思っているのだが、この辺を心理学者や神学者がどう分析するか、かなり楽しみである。


 6月9日(土) 9:30より聖書講釈(使徒行伝17章16~34節)。聖書講釈の箇所も、伝統的な礼拝典礼の3つの聖書朗読箇所、「福音書」「旧約聖書」「使徒書簡」にちなんで選んであるなぁ…と今回こんな風に書き出してみて初めて気づいたりして…^^;

 11:00より「病院におけるキリスト教的およびイスラム教的『同伴』」。病院でのカウンセリングの実態、キリスト教とイスラム教で病気の際に提供する「助け」はどう違うのか、患者は何を求めているのか…等、現場で働くソーシャルワーカー、牧師、イスラム教の神学者等を招いて講演と話し合いを行う。ドイツにはイスラム教圏の国から来た人(特にトルコ人)も多いことから、おそらくこういった対話の必要性があるのだろうと思うが、実際に現場で働いている人の話が聞けるだけに興味深い。

 15:00より「宗教は平和をもたらすのか、それとも火種をもたらすのか?」カトリック教会はもちろん、イスラム教・ユダヤ教の代表者をも招いての対話・パネルディスカッション・映像の放映等。「一体宗教とは共同体に何をもたらすのか?」という問題提起から、2010年にミュンヘンで行われる「ドイツエキュメニカル教会大会(カトリックと福音主義合同の大会)」への取り組みまで、現状の報告や議論が行われる予定。

 19:30より「魂の詩情」。詩、音楽、ダンス等、いわば「魂の芸術的表現」を味わう催し物である。音楽ではグレゴリオ聖歌から、サクソフォーンのアンサンブルによるジャズまでいろいろ登場するらしく、フル回転の中3日を落ち着いてしめくくるにはちょうどいいのではないかと思って選んだ。


 6月10日(日) 10:00より閉会礼拝。ライン川沿いの大きな広場が会場。今回は1箇所に参加者全員が集合するので、ものすごい人数になるはずだ。説教箇所は列王記上19章1~13a節。この礼拝、テレビ中継されるので、ドイツにお住まいの方で興味のある方はどうぞ。チャンネルはARD(ドイツの公共放送)。


 …中3日のプログラムは、毎度のことながら開催時間がぶつかり、泣く泣く参加を諦めざるをえないものが多くあって、優柔不断な私は最後まであれこれ迷いながら、ようやく決断した。更に宿を提供してくださるホストファミリーの都合もあると思うので、この計画通りいくかどうかは不明なのだが…



 ともかく、いってきまーす♪




 PCは持参しないため、大会期間中は完全にネット落ちします。よろしくですm(_ _)m

確定申告の書類作成






終わった~~~~!!!! バタン!!







…今日の日記はそれだけ。

今夜はProsecco 開けちゃう!(爆)

このオルガニストとこの牧師…

 今日はキリスト昇天日後、最初の日曜日。いつものようにホイマーデン教会でお仕事。礼拝の後に、教会員のRさん夫妻の金婚式も行われることになっていた。

 D牧師が選んだ、今日の礼拝の最初の讃美歌はEG123番、"Jesus Christus herrscht als König"(イエス・キリストは王として支配する)だった。昨日、礼拝の準備をしていた時に、この讃美歌を使った面白いコラール前奏曲がないかなーと思ってホイマーデン教会の楽譜棚を漁ってみたら…なんと、エルンスト・ペッピング作曲のコラール前奏曲発見。ペッピングは1901年生まれ、1981年没のドイツの作曲家で、教会音楽の分野で活躍した人である。

 このコラール前奏曲、初見でささっと弾いてみて爆笑した。まずはファンファーレ風の出だしが傑作。「支配する王」のイメージでファンファーレ…ってのは発想としては珍しくないが、讃美歌のメロディーが妙にかっこよく付点とか3連符入りでアレンジされている。伴奏の和音がまたかっこよく、まるでスターウォーズの宇宙船凱旋シーンにでも出てきそうなノリなのだ。うーん、やるなペッピング!楽しい曲を書いてくれるじゃないか~(爆)

 冒頭以外もいろいろ面白い業連発のこのコラール前奏曲、あまりの宇宙的なかっこよさ(?)がすっかり気に入って、礼拝で弾くことに決定。技術的にも難しくなく、1時間もかからないうちに弾けるようになった。

 ホイマーデン教会の礼拝内の音楽は、うっかりするとこんな風に決まってしまうのである。(ぉぃ)


 さて、そんなわけでスターウォーズ風ファンファーレで始まった今日の礼拝であったが、D牧師も負けてはいなかった。何と、説教に登場したのが



 ハリー・ポッター



 D牧師!番組間違ってます~!(←いや、突っ込みどころはそこじゃなーい!^^;)

 ハリー・ポッターの在学している魔法学校の校長の台詞に、「ここに人間がいる限り、僕はこの学校を離れる(見捨てる)ことは決してない」というのがある。校長が悪の力に倒れてしまった後も、ハリー・ポッターを始めとする生徒たちは何度も何度もこの台詞を思い出して、心の支えとしていく。

 これは天に昇っていったイエスと同じである。イエスはこの世界に人間がいる限り、決してそこを離れる(見捨てる)ことはないのだ。ハリー・ポッターの作者ローリングは、今度発売になる最終巻の内容・物語の結末について一切明かしていないが、聖書の物語の結末を我々は知っている。天に昇ったイエスは、聖霊、つまり「慰め主」を私たちに送ってくださるのである…というのが説教の主旨。

 うーん、やるなD牧師!(笑) いつの間にハリー・ポッターなんて読んだんだろう^^;


 というわけで、今日の礼拝出席者はスターウォーズ風にハリー・ポッターな礼拝を体験する羽目となったわけである。にしてもD牧師、ハリー・ポッターな説教もいいが、礼拝の後で行われる金婚式の讃美歌のことをすっかり忘れて、今朝になってから「ごめん~」と言いつつ渡すのは、出来ればやめて欲しいなぁ~_ _;


 実は勤務態度を深く反省し、最近讃美歌の伴奏を真面目に練習している。

 本気で練習すると、讃美歌の伴奏もなかなか難しい。まずはメロディーに和音付けをする。(注:前にも書いたと思うが、ドイツではB以上の資格を持つ教会音楽家は、原則として伴奏譜は使用しないで、メロディーだけ見て自分で和音をつけながら讃美歌の伴奏をする。)この時に和声法上の間違い(禁則)を犯さないように注意を払わないといけないのだが、最近私はいい加減な初見での和音付けを繰り返した結果、このミスに無頓着になりつつあるので、「春の禁則撲滅運動」(←?)に乗り出したというわけだ。

 ミスを取り除いてきれいに和音がついたところで、今度は讃美歌の歌詞を読む。本当なら歌詞の内容に従って和音付けもいろいろ変えて弾くのが理想なのだが、時間のない時はそんなことはしていられない。ただ、歌詞の中にある「、」(ドイツ語だとコンマだけど…)のところは、ちゃんと区切って弾く…等、いろいろ歌う人に配慮した弾き方をせねばならない。

 この「、」は結構曲者だ。1番と2番と3番とで、全く違った場所に入っていたりする。今、自分が何番の歌詞を弾いていてどこで区切るのか、余程きちんと把握できていないと、すぐに区切るのを忘れて「、」を通り越してしまう。「、」を無視して、通り越し放題で弾いているオルガニストも多いのだが、ちゃんと歌詞を見て弾いているかどうかがそこでバレてしまうのだ。

 今日の礼拝にはその辺まできっちり練習した上で臨んだのだが、説教の前の讃美歌を、練習したのと全く違った和音を付けて弾き始めてしまった私であった…_ _; どうやら、本番でも練習したとおり弾く訓練が私には必要なようである(汗)


 まあ、それでも礼拝の讃美歌は練習の成果があったと思う。練習できなかったRさん夫妻の金婚式の讃美歌は、仕方ないので快調(怪調?)に初見で弾いた私であった…(笑) まあいつものごとく、暗譜でも伴奏できるようなスタンダードな讃美歌ばかりだったのだけれども。

 金婚式の前奏には、Rさん夫妻の娘さんの1人がサクソフォーンで「G線上のアリア」を演奏し、私が伴奏。昨日一緒に合わせをしてあったのだけど、サクソフォーンは本番の方がずっと出来が良くてびっくりした。

 まだ結婚すらしていない私には、結婚50年なんて見当もつかない別世界。でも、お子さんたち・お孫さんたちに囲まれて嬉しそうなR夫妻の姿を見ていたら、私まで嬉しくなってきたのだった(^^) 和気藹々とした家族の姿が見られた、素敵な金婚式だった。