さいちゃんの教会音楽な日々 -9ページ目

微妙に暇…^^;

 最近、微妙に暇(←?)な私。というのも


 コンサートもないし


 付き合いで顔出さなきゃならないような催し物もないし


 デートする彼氏もいないし


 遊びに来る友人もいないし


 つまり、普段のピアノ&オルガンレッスン(現在生徒数9名)と、教会でのオルガニストの仕事と、合唱団2つの指揮の仕事以外、差し迫って特にやることがない。



 な、なんて珍しい日々なんだ…!@_@;



 …と平和な日々に自分で驚いてみたり^^;

 ただし、実は確定申告の書類作成からは未だ逃避中である。(←結局やることあるじゃないか!とか突っ込まないで下され^^;)



 というわけで、この微妙に暇な時期にやったこといろいろ…



☆ 私の代役オルガニストの皆様のために、ホイマーデン教会の礼拝順序を作成。

 これは前からやらなくては…と思っていた。私がホイマーデン教会の仕事を始めた頃、ちゃんとわかりやすく礼拝順序を書いたものがオルガニスト用にあったのだが、礼拝順序の方が2005年に少し変更になった。(興味がありましたら礼拝の本変更点 についての過去記事をどうぞ。)その後、D牧師が教会の事務にオルガニスト用礼拝順序を一応作らせたのだけど、あまりわかりやすいとはいえなかったので、何とかしないと…と思っていたのだ。ちょうど27日の聖霊降臨祭の聖餐式つき日曜礼拝を、Cの資格を持つアマチュアオルガニストさんに弾いてもらうことになったので、この際「礼拝順序を書いたもの、作ります!」と宣言して作成することにしたのである。実際にオルガンを弾いたことのある人でないと、こういうものをわかりやすく作るのは難しいだろう。(オルガニストがどういう時、どうして慌てるのか、牧師にはわからないものだし…苦笑)

 さて、いざ作り始めてみると、いつも弾いている礼拝なのに「あれ?」が続出。「信仰告白(使徒信条等)の場所は聖書朗読の前だっけ、後だっけ?」とか、「聖餐の讃美歌を歌うのは罪の告白の前?後?」とか…(汗)結局、州教会の「礼拝の本」を本棚から引っ張り出してきて、そこに載っている礼拝順序を見ながら作ったのだが…後でD牧師に確認してみたら、やっぱり信仰告白の場所、間違えてた…(滝汗)で、作り直し。いかに普段ぼーっとオルガンを弾いているかバレバレである_ _;

 ともかく、普段の「説教礼拝」と「聖餐式礼拝」の2パターンで、礼拝順序を書いたものを作成して、オルガニストの出番に蛍光ペンで印をつけておいた。これで、私の代役さん達もだいぶ仕事がやりやすくなることと思う。皆様よろしくお願いしまーすm(_ _)m


☆ 当ブログのCSSをいじって、文字の大きさを変更。

 「コメント欄の文字が小さい~!」という苦情をいただいていたので、何とかしなくちゃと思っていたのだが、その方法を探るうち、CSSというものをいじれば文字の変えられるらしい…という知識を得た。そこでまずはCSSのいじり方を勉強(ぐーすか&ぶーすかさん の入門講座がお薦めです!ありがとうございましたm(_ _)m)、それを元に文字の大きさを変えてみた。

 読者の皆様、こんなものでいかがでしょう?ご意見・ご要望はコメント欄まで。


☆ ブクログで「さいちゃんのCD棚」 作成。

 どこからどう見ても独断と偏見に満ちた、超マニアなCD棚になること請け合いだったので、作ろうかどうか迷っていたのだけど…結局作ってしまった(笑、でも、まだ試しに登録した1枚しか記事がないんだけれど…)。ここで5つ星のついているCDは、私のせまーい好みのストライクゾーンに入った上、超びっくり級(?)の収録ばかりになる予定なので、興味のある方はたまに覗いてやって下さいm(_ _)m URLはhttp://booklog.jp/users/saichan です。

 ところでこのブクログ、日本のアマゾンと提携しているので、ここから買ってもらうと私が紹介料をもらえる仕組みになっていますが、だからといって売りたいがために、気に入らないCDに甘い評価をつけることは絶対にありません(笑)。あくまで本音で記事書きます。そんな口の悪い批評を書いているのに、仮に収入があったりした時には…世のために役立つことに使わせていただきますね。


☆ ドイツ年金保険の出張所に、相談のための予約ゲット。

 前に記事にした 年金関係の書類。こまこました字で書かれた文章を読んでいたら、各種証明書のコピーを送る時に、各地の出張所に顔を出して「間違いなくオリジナルのコピーである」と証明してもらわなければいけないことが判明。だったら、書類なんてメンドクサイものはどうせ締め切りでも設定せねばなかなか取り掛からないものなんだし、この際相談の予約を取ってしまえ~!とばかり、シュトゥットガルト出張所に予約を入れた。何と、ドイツ年金保険のHP にはインターネットで予約が出来る最新(?)システムがあるのだ。自分の都合のいい時間が空いているかどうか検索し、名前を記入して予約を入れればOK。29日の午後に予約が取れたのだが…それにしてもドイツにしては信じられないサービスの良さ!(笑) 外人局にもこのシステム導入してくれればいいのになぁ(って、外国人に意地悪するのがお仕事の役所に、それは無理か_ _;)。



 …というわけで、平和な日々が続いているうちに、ぼちぼちこんなことをやっている今日この頃…。忙しくならないうちに、前からやりたかったことをもうちょっとやれたらいいんだけどなぁ…と思っている。(←てかその前に確定申告!!^^;)

5月とは…

 "Im wunderschönen Monat Mai"(素晴らしく美しい5月)というハイネの詩をご存知の方も多いと思う。急に気候がよくなり、花が咲き乱れ、まぶしい陽射しに気分も明るくなる…そんな開放感あふれる5月。

 今年は何を間違ったか、4月にそれが来てしまったことは前にちょっと触れた のだが、ここのところその反動で天気がぐずついているのも不思議ではない。とはいえ、寒くて暗い時期はもう過ぎ去ったのだ…ということだけはよくわかる、そんな気温ではある。


 ところで、いまどきのドイツの5月とは、喜んでばかりもいられない5月である。というのも、私のような半自営業者にとって、おそろしい書類の提出期限がじりじりと迫ってくる月なのだ。何って…



 確定申告 



 5月31日が締め切り。遅れると罰金である。

 日本で所得税を払ったことがないので比較することは出来ないが、ドイツの税制ははっきり言ってかな~りややこしい。その上、毎年のように変わるから嫌になってしまう。

 どこかの会社のフルタイムの従業員であれば、コトはわりと簡単だ。所得税は給料から天引きになり、会社が税務署にちゃんと届け出てくれる。多く払いすぎた分を取り戻したい人だけ、確定申告の書類に必要事項を記入して提出すればいいのだが、これだけならそんなにややこしくない。

 私の場合、ホイマーデン教会のパートタイムのお給料を除いては、全部自営業扱い。従業員としての書類と、自営業者としての書類両方に記入し、それぞれ分けて計算せねばならぬのだが、これがものすごく面倒なのだ。お金があればこういう面倒な作業は全部税理士(Steuerberater)に任せられるのだが、やってもらったら150ユーロぐらいは軽くかかる。貧乏人は泣きながらでも自分でやるに限るのだ。

 わからないところは似たような境遇の音楽家の友人知人に聞こう、と思っても、「あ、そういうことはうちは全部ダンナ(ドイツ人)がやってるから~」という返事が返ってきたりして…_| ̄|○ う~む、持つべきものはやはりドイツ人のダンナか!?(←これじゃ便利屋扱いである^^;)なかなか似たような境遇の人がいないのに、これだからなぁ…_ _;

 というわけで、去年半泣き状態で自力で書類を作った私だったのだが、その時の痛~い経験から、この1年はわかりやすく帳簿をつけ、領収書をきちんとまとめておくよう心がけていた。要領も少しわかっているので、今年の書類作成はだいぶ楽であろうが、それにしてもそろそろプレッシャーを感じ始めていた今日、なんと他の面倒な書類が…!



 年金関係の書類



 何これ?と思って読んでみるに、ドイツでは満18歳から年金を払わねばならないのだが、私がホイマーデン教会の正オルガニスト(月給をもらうオルガニスト)になった2002年以前のデータがないので、満18歳からそれまで何をしていたのか書類に記入して、証明書を添えて提出しろとのこと。


 満18歳の時は、日本で高校生してましたがな_ _;


 どうしろちゅーねん、みたいな話なのだが、とりあえず英文でも高校の卒業証明書はあるから、これを出せばいいのかなぁ~。その後はドイツの大学の卒業証書?浪人していた間とかはどうするわけ?う~ん_ _;

 何だか頭が痛くなってきた…。まぁ、一応注意深く読めば、書いてあることはわかるぐらいにドイツ語力はついているものの…




 書類なんかキライだ~~~~!!(絶叫)




 「素晴らしく美しい5月」が、「素晴らしく書類な5月」になりそうな、雲行きの怪しい私の今日この頃なのであった…_| ̄|○

波乱(?)の結婚式

 4月にはありえないほど毎日晴天だったドイツだが、何と5月に入って最初の週末の今日、雨が降った。数々の詩にも詠われている、美しい5月もこれでは台無しなのだが、更によりによってその今日、ホイマーデン教会では結婚式があった。どんよりお空の中、出勤。

 そもそも私の手帳の5月5日には「Trauung」(結婚式)とメモしてあったものの、何時からなのか等、詳細が一切書き込まれていないことに気づいたのが…つい2日前。その日はピアノのレッスン等でホイマーデンへ行ったものの、牧師の姿は見かけなかったのでつい聞きそびれた。それで昨日、電話して確認しなくちゃ…と思っているうちに、牧師の方から電話がかかって来た。


 「明日、結婚式があるって連絡したっけ?」


とものすごく慌てている。「ハイ、私の手帳にメモがありましたけど、何時からか書いてないので、今電話しようと思っていたところなんですよ」と言ったら、ちょっとホッとした声で「…ああ。14時半!14時半からだよ」だそうで。

 何でもこの結婚式、無事挙げられるかどうかギリギリまでわからない状態だったらしい。結婚する2人は無論ホイマーデン教会で式を挙げたかったのだが、2人の所属教会が国教会ではなく、いわゆるフリーチャーチに属する教会だったため、ホイマーデン教会の属するデーガロッホ教区長からダメ出しを食らってしまった。(ドイツの教会は意外にそういうところが厳しくて、どちらも信徒でないのに教会で結婚式を挙げたいとの希望があっても、まず許可されない。)ところが、この2人が国教会の会員になったため、予定通り挙式出来ることとなったのだそうである。何だか結婚式のために会員になったように聞こえてしまうのだが、同じキリスト教(しかもプロテスタント)なのに、会員籍のせいで希望の教会で結婚できないのは馬鹿馬鹿しい、だったら信仰を曲げるわけでもなし、会員登録してしまえばいいんだ…という考え方もまぁ出来なくはない…^^;

 そんなこんなでバタバタしているうちに、牧師はうっかり私に式のことを連絡し忘れた…と慌てていたらしい。式の時間すらまだ決まっていないほど前だが、辛うじて連絡はあったみたいなので、ご安心くだされD牧師(苦笑)口頭で讃美歌の番号をもらったのだが、定休日の昨日は結局練習には行かずじまい。


 というわけで今日はいわば初見…とはいえ、結婚式で歌う讃美歌は本当にポピュラーなものが多く、暗譜でだって伴奏できるものばかりだ。前奏と後奏は「練習しなくても弾ける結婚式用の曲」を持っているので、それを弾くことにしていた。手抜きといえば見事に手抜きだが、こういうレパートリーを持っていることは飛び入りの仕事をこなすために大切でもある。(←言い訳…_ _;)

 さて、14時半に鐘が鳴り始め、結婚を祝う客が会堂に入ってきて席についている模様。(ホイマーデン教会のオルガン演奏台からは1階席が見えないので、雰囲気や音でしか様子がわからないのだが…。)それもおさまって、静かな会堂に鐘が鳴り響く…。そして、なぜか鐘の最中に牧師が2階席に上がってきた。……何が起きた???


 「新郎新婦がいないんだけど」



 ずるっ



 …大真面目にオルガンの椅子から落ちそうになった私だった…



 おいおい、ここまで来てキャンセルはないだろうな~~!「もうちょっと鐘を鳴らしながら待って、到着次第式を始めようと思うけれど、あまりに遅れるようだったら一旦鐘を止めるから、その時はもう一度言いに来るね」と言い残して、牧師は下に降りて行った。

 さて、新郎新婦はどうしたのであろうか?私はオルガンを弾くとはいえ一応傍観者なので、半分この状況を面白がっていられるが、きっと親戚や親しい友人は気が気でないに違いない。鳴り続ける鐘を聞きつつ、ぼんやり通りに面した教会のステンドグラスの方を見ていたら、白とピンクの派手な大きな車が前を横切ったのが見えた。どうやら新郎新婦の到着である。

 結局15分遅れで結婚式が始まった。新郎新婦の入場、牧師の挨拶、そして讃美歌。説教はフリーチャーチの方の牧師が行ったのだが、エフェソの信徒への手紙にある有名な「妻と夫」の箇所によるこの説教の主旨は…。


 「妻は夫に仕えなさい」「夫は妻の頭だ」というこの聖書の箇所は、長い間間違って夫婦間の男女差別の根拠として使われてきた。が、それは聖書の真意を間違って汲み取った結果である。その証拠にその言葉の直後に、「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のためにご自分をお与えになったように、妻を愛しなさい」と書いてある。「キリストが教会の頭であるように、夫は妻の頭である」という聖書の言葉の意味は、夫が妻に関しての全責任を負う存在である、ということだ。悲しいかな、今日では結婚生活の破綻ということが日常的になっているが、その責任は夫にあると思うべきだ。仕事から帰ってきたら、服を着替えて居間にでんと座り、あとは全部妻にやらせているようではいけない。仕事から帰ってきたら、今度は妻のために何かする時間なのだ。結婚生活の全責任は、○○さん(新郎の名前)、あなたの肩にかかっているのである。


 …いや、凄い。長年結婚式の奏楽を務めてきたが、こんな説教は初めて聞いた。無論、男女差別の偏見を解いてくれるのはありがたいし、聖書の真意は確かにそこにあるんだろうけれども、これは新郎の方にはものすごく厳しい。こんな説教を聞いてしまったら、結婚の「Ja」(はい)が言えなくなりそうだ(汗)

 そうこうしているうちに、日本でいう「誓い」の場面へ。これはD牧師が行った。おそらくフリーチャーチの牧師は、国教会では式を行うことが許されていないのだろうと思う。「日本でいう」とわざわざ断ったのは、ドイツでは結婚を「誓わない」からで、ドイツでのこの場面でのやりとりを訳すとこうなる。


 牧師 「○○さん(新郎の名前)、あなたに質問します。あなたは●●さん(新婦の名前)を神から与えられた妻として、よい時も悪い時も、死があなたがたを分かつまで尊敬し愛しますか。そうであれば、『はい、神の助けによって。』と答えてください。」

 新郎 「はい、神の助けによって。」

 牧師 「●●さん(新婦の名前)、あなたに質問します。あなたは○○さん(新郎の名前)を神から与えられた夫として、よい時も悪い時も、死があなたがたを分かつまで尊敬し愛しますか。そうであれば、『はい、神の助けによって。』と答えてください。」

 新婦 「はい、神の助けによって。」


 「誓う」という言葉は一度も出てこない。むしろ「神の助けによって」という控えめな表現となっている。結局のところ人間は何か決意して誓ったとしても、神の助けなしには何一つ遂行することが出来ない…という「聖書の人間観」が、この言葉の根底にあるのであろうと私は思う。聖書にも「誓ってはならない」と書いてあるのだし。

 厳しい説教にもかかわらず、新郎の「はい」が聞けてホッとした私だったのだが、まぁこれで「はい」を躊躇するような相手であれば、そもそも結婚を考え直した方がいいよなぁ、と勝手に納得した。「はい」のあとは指輪の交換と、牧師による祝福の祈り。この辺が結婚式のハイライトである。最後にもう一度讃美歌を歌い、祝祷、そして後奏と共に新郎新婦退場。


 あいにくの雨であったが、結婚式の中でも牧師がそのことに触れ、「7週間ぶりの恵みの雨」だと言っていた。確かにいい天気が続いていたけれど、7週間も雨が降らなかったということに、牧師に言われて初めて気づいた。今年の農作物の出来も心配されている状態だったから、牧師の言う通りこの雨は「神の恵み」だとすんなり納得できる。そしてその雨の中だったが、いろいろなハプニングを乗り越えて結婚式が無事終了したのも、まさに「神の恵み」だなと心から思ったのであった。

前向きな人たちのパワー

 昨日から肩が痛くて頭痛がひどいまま、一番仕事の多い日・木曜日を迎えた。

 別に病気なわけではないのだが、寝違えたのか、昨日の朝起きたら突然肩が痛かったのである。これで指揮の仕事をするってのはつらい。実際、昨日は空港合唱団の日だったのだが、倍ぐらい頭が痛くなって帰ってきた。今日は肩は少しいいが、相変わらず頭痛がひどかった。

 気分が晴れないまま仕事を始めたのだが、幸いにして、よく頭痛の種をもたらしてくれるピアノの生徒が珍しくおとなしかったので助かった…(^^;)どうもこの調子の悪さは、気候のせいでもあるらしい。ピアノレッスンの後、リコーダーアンサンブルの練習に顔を出したら、指揮者のKさんもものすごく具合が悪そうで、練習は早めに切り上げ。他のメンバー(ほとんどお年寄り)も昨日から調子を崩した人が多いようだった。絶対に天気のせいだとみんなで勝手に納得し(^^;)、私は途中で軽食をとって、シュテックフェルトの合唱練習へ。


 ヴィエルヌのミサ曲上演が終わったあと、シュテックフェルトの合唱団はちょっと「祭りの後」みたいな雰囲気になっている。しかしそれでもやる気いっぱいなのがこの合唱団のいいところ。「教会合唱団が、教会暦の大きな祭日の礼拝で歌わないとは何事か」という意見が飛び出し、次の聖霊降臨祭(ペンテコステ)の礼拝(5月27日)には人数が少なくても歌うんだ~!!という流れになり、今そのための曲を練習している。

 ドイツの状況を知らない方のために、人数が少なくなる理由をちょっと説明しておかなくてはならないかもしれない。ドイツの学校には、教会暦の大きな祭日前後に1~2週間の休みがある。日本の学校では「春休み」とか「冬休み」なのが、「イースター休み」「クリスマス休み」「ペンテコステ休み」という風になるわけだ。更に州ごとに休みを微妙にずらして、バカンス先の混雑緩和をしている。

 この州の今年のペンテコステ休みは、5月27日(日)~6月10日(日)の2週間。ドイツの場合、土曜~次の土曜の1週間単位でバカンスに出かけるのが標準なので、5月26日(土)から出かける予定を組んでいる人たちが当然多いのである。それで27日に歌いに来れるメンバーは、普段よりはるかに少なくなってしまうわけだ。

 ペンテコステに限らず、教会暦の大きな祭日は皆同じなので、さっきも書いたように「教会合唱団がこんなことでいいのか?」という意見も出てくることがあって(←もしかして前向きなうちの合唱団だけで、他の合唱団は諦めているのかもしれないが^^;)、今回はバカンスに出かけない居残り組(?)の「人数が少なくても歌おうではないか!」の一言で、27日に歌うことが決定してしまった(笑) 指揮者としてはこういうやる気いっぱいの合唱団は大歓迎なのだが…


 ホイマーデン教会の皆様、突然聖霊降臨祭に休みを取るオルガニストをお許しくだされm(_ _)m


 てな問題もあったりする…。(ホイマーデン教会には、シュテックフェルト教会から私の代役オルガニストを送り込んでもらうつもりで手配を進めている。)


 さて、その聖霊降臨祭礼拝用の曲だが、1曲は起源が13世紀に遡る古い讃美歌、"Nun bitten wir den Heiligen Geist"(私たちは聖霊に願う)をK. ヘッセンベルクが3声の合唱曲にアレンジしたものを選んだ。もう1曲も讃美歌で、"O Heiliger Geist, o Heiliger Gott"(おお聖霊よ、聖なる神よ)のS. シャイトによる4声版だ。

 それに加えて、合唱団のメンバーからの提案で、テゼ共同体 の讃美歌を3曲ほど。テゼの讃美歌は、そもそも合唱用に作曲されているものが多く、さらにきれいで歌いやすい。聖霊降臨祭礼拝では聖餐式があるので、みんなが聖餐を受けている間にテゼ讃美歌を歌うことになっている。(聖餐をどうしても受けたい合唱団のメンバーがいるかも?と内心気にはしているのだが、交代で受けることが…出来るかな?それは後で牧師と一緒に考えようと思う。)

 今日の練習はもちろん、その礼拝用プログラムを全曲やったわけだが、心配要らないほど音はよく歌えている。ときどき迷子になるパート(笑)が出てくるのでその都度直し、あとは発音や曲想に関する指示をこまこまやった。こういうのはやり始めるとキリがないのだが、この合唱団はちょっと言うだけでみんな結構きちんとやってくれるから、やりがいがあっていい。いざ本番になると、言ったことをときどき忘れてくれるのが玉に瑕なんだけど(爆)


 テゼ讃美歌の1曲目を終えたところで、最後列に座っている男性たちが何だかざわざわしている。よくは聞き取れないが中国語がどうのとか言っているので、「なになに?」という顔でそっちを見てみたら、その楽譜の一番下に別の曲が印刷されていて、しかも各国語で歌詞が書いてあるので、「何語なんだろう?」「これは中国語なんじゃないか?」「えー違うよ!?」とざわざわしていたらしい。テゼ讃美歌はいろんな言語で歌えるように、各国語に訳されているものもあるからねぇ~。

 「上から2行目の歌詞のこと?だったら韓国語だよ。」と私。(何が書いてあるかは読めないけど、ハングル文字はわかる^^;)「で、下から2行目のが日本語。」と付け加えたら、みんなが「おお」と言わんばかりの顔になった。「じゃあ一番下の行の右側のは何語?」と聞かれてしまったが…見たことのない文字だ~~!!わかりませ~~ん^^;

 世界にはいろんな言語といろんな文字があるのだな、と一同感心させられたわけだが、そこでソプラノの方から一言。


 「日本人の指揮者(私のこと^^;)がドイツ語でしゃべっているのだから、我々が日本語で歌ったっていいんじゃない?」


 おお、なんて前向きな人たちなんだ~!(笑) 残念ながら今取り組んでいるテゼ讃美歌は全部ラテン語で、日本語訳はついていないんだけれど、今度日本語での合唱、やってみましょうか?^^;

 とはいえ、私は日本では全然合唱の世界とは縁がなかったので、学校で歌うもの以外の曲を知らないのである。どなたかきれいで歌いがいのある日本語の合唱曲を知っていたら、教えてくださ~い!!


 といった感じで、1時間半の合唱練習を終えたら、かなり頭痛がすっきりしていたのでびっくり。(さすがに完治はしていなかったけれど…。)前向きな人たちのパワーは頭痛も吹き飛ばす効果があるんだなぁ(笑)


 練習が終わった後、牧師曰く「僕はこの合唱団、この前のコンサートのおかげで上手くなったと思う」だそうで。…ん~、そうかな~。もともと結構歌えたと思うんだけれども…(←指揮者、自覚なし_ _;)

 でも、言われてみるとソプラノは高音がしっかり出るようになったと思うし、バスも前よりは迷子になる確率が少なくなってるかも(笑)。もし本当にコンサート企画が功を奏したのであれば、やった甲斐があったというものだ。


 まだ頭痛は完璧には治っていないけれど、家を出る前とは全然違って、いい気分で家に帰って来れるなんて幸せだと思う私であった(笑)

教会音楽もビジネス!?

 …びみょ~に気になり始めたことがある。何かって…



 教会音楽の世界もやっぱり




 ビジネス




 なんだろうか… ってこと。



 事の発端は教会音楽の先輩にあたる人から、今日もらった1本の電話である。この人はドイツに来たばかりの、10代の頃の私を知っている貴重な人物(笑)。教会音楽界の右も左もわからない私を見るに見かねて(?)、今年に入ってからいろんなアドバイスをしてくれているありがたい方なのだが、今日もシュトゥットガルト内の就職情報を耳に入れてくれたのである。

 これは本当にありがたい話だったのだけど、問題はその後。ついでに最近のシュテックフェルト合唱団の様子等聞かれ、いろいろ話していた時に「来年のコンサートに、こんな曲どう?」という提案をしてくれた。で、その曲にはバリトンのソロとオルガンの伴奏が必要とのこと。「バリトンは何度も一緒にやっている、いい人知ってるから紹介してあげるよ。そんなに高い報酬取らないでやってくれる男だから…」というので、「いくらぐらいかかるものなの?」と聞いてみたら…



 「バリトンとオルガン合わせて、●●●ユーロでOK。」



 バリトンとオルガン合わせて、って…とどのつまりは…



 もれなくこの先輩のオルガン伴奏つき。




 ……



 う…



 上手すぎる@_@;



 いや…これがもしかしたら、この世界のやり方なのかもしれないけれど、さらっとした売り込みに純真無垢な乙女はかな~りびっくりしたのである。(←誰よ、そこで吹き出してるの!?)


 無論、この先輩のオルガン伴奏にケチをつける気なんて毛頭ございませんm(_ _)m 何せ、相手は教会音楽家としてだけではなく、ソロのオルガニストとしても活躍している方でございます。ちゃんと弾いてくれることは間違いないし、それでこのお値段というのはとっても好意的だ…と言えるのだけれども。



 …やっぱり、こうやって要領よく売り込むビジネスの才能がないと、この先教会音楽家として仕事していくのは難しいのかなぁ…_ _;



 この世界の仕事って、こんな風に回っているものなのかも…@_@;

 自分にその要領のよさがないだけに、いろいろ考えさせられてしまっている私なのであった…_ _;