礼拝日誌:復活後第5主日 | さいちゃんの教会音楽な日々

礼拝日誌:復活後第5主日

 ホイマーデン教会でオルガン奏楽。説教はゲストのM説教師。
 ヴュルテンベルク州教会特有の制度なのか、他のドイツの州教会にもあるのかわからないが、牧師の他に「説教師」と呼ばれる人達が礼拝を行うことがある。一般信徒で職業も他に持っているのだが、説教師養成コースで神学を学び、説教礼拝を行える資格を持った人たちである。
 M説教師とはもう何度か一緒に礼拝をしているが、明るく知的な女性説教師である。彼女の方も私のことをよく覚えている…というのも、一番初めにホイマーデン教会で礼拝をしたとき、讃美歌の連絡が事前に私のところに届かなかったというアクシデントがあったのだ。(これはM説教師のせいではなく、うちの教会の事務のせい>_<)仕方ないので、私は初見で奏楽をしたのだが、それを聴いて彼女は(初見でできるということに)びっくりしたらしい^^;
 もっともそのアクシデント以来、しっかり土曜日に「讃美歌届いてますか?」と電話を下さるようになったのだが、昨日も電話を下さった。今回は讃美歌を1曲入れ忘れたとのことで、

 「とりなしの祈りの合間に、EG(Württemberg)573番のマニフィカートを入れたいのだけれど…」

 讃美歌も600曲以上あれば知らないのや歌ったことのないのが出てくるわけで、この讃美歌はうちの教会ではまだ歌ったことがなかった。しかし、テゼ共同体の讃美歌と知り、「歌ったことないですけれど、やってみましょう。ただし、1回練習代わりに歌ってからとりなしの祈りを始めましょう」と応じた。テゼ共同体の讃美歌は、繰り返し聴けば覚えられるような素朴なメロディーの典礼歌がほとんどである。だから、何回か歌っているうちにみんな歌えるようになると踏んだのだ。
 それに、余程讃美歌に詳しく、積極的に新しい讃美歌を入れる牧師でない限り、礼拝で歌われる讃美歌というのはいつも牧師のレパートリーに入っている数十曲の讃美歌に絞られてしまうものなのだ。だから、ゲストの説教師や牧師が(我々にとって)新しい讃美歌を持ち込んでくれることは、むしろ大歓迎だと私は思っている。どうやってそれを導入するかは、牧師や説教師ではなくて、むしろ我々の仕事である。


 さて、復活祭(イースター)から数えて5番目の日曜日は、Rogate(「祈れ」もしくは「願え」)という名で知られている。教会暦による礼拝のテーマは「祈る教会」。


前奏  Philip Wolfrum: EG449によるコラール前奏曲
讃美歌 EG449 1-4 Die güldene Sonne voll Freud und Wonne
挨拶と今週の聖書の言葉 詩篇66篇20節
詩篇交読 18篇 +Ehr sei dem Vater (ドイツ語版Gloria patri)
祈り・黙祷
聖書朗読 テモテへの第1の手紙2章1-6a節
讃美歌 EG182 1-4 Suchet zuerst Gottes Reich in dieser Welt
説教 「父に願う」
讃美歌 EG328 1, 3-6 Dir, dir, o Höchster will ich singen
とりなしの祈り EG573(Württemberg) Kanon I
主の祈り
讃美歌 EG369, 7 Sing, bet und geh auf Gottes Wegen
報告
讃美歌 EG112, 6 Ich hang und bleib auch hangen
祝祷
後奏 EG112による即興演奏


♪ メモ ♪
前奏: 即興するの面倒だな~と思いつつ、コラール前奏曲集をめくっていたら、Philip Wolfrumのコラール
    前奏曲を見つけ、さほど難しくない曲だったので弾くことにした。Wolfrumは1854年生まれ、1919年没
    の作曲家でオルガニスト。ハイデルベルクで神学生相手に教会音楽を教え始め、それを牧師も
    含めた神学者相手の教会音楽教育に発展させた人物だ。(実はその教会音楽教育が更に発展
    して出来たのが、私の母校ハイデルベルク教会音楽大学である。)
      母校にゆかりのある作曲家ということで喜んで弾いたのだが、大して長くもないコラール前奏曲
    なのに、あちこちのパートにコラールのメロディーがちりばめられており、典型的ドイツ風だが
    よく書けているなぁと思った。また今度機会があったら、彼のコラール前奏曲に挑戦してみたい
    ものだ。

讃美歌182番: この讃美歌、日本語のワーシップ系讃美歌でも有名な「神の国と神の義を」なのだが、
         間違って一回多く弾いてしまった(爆) 途中で「ハッ、今何番だっけ?」と思ってみんなが
         歌っている歌詞を聴こうとしたのだが、時すでに遅しでリフレインの箇所に入っていたの
         だ_ _; で、その回が終わってもM説教師の姿が説教壇になかったので、「あ、そーか。
         じゃあ今から4番なんだ」と思って、しゃーしゃーと5回目を弾いてしまったというわけ^^;
           で、後で聞いてみたら、出席者の皆様も「あ、そーか。5番も歌うんだ」と思って、みんな
         しっかり歌ってしまったんだそうな(笑)M説教師は、自分が説教壇に上がるのが遅れた
         から、私がフォローのためもう1節付け足したんだと思ったとのことで、丸く収まり、めで
         たしめでたし。(なのかっ!?

説教: 聖書箇所はヨハネによる福音書16章23節後半~28節。もうすぐ弟子達のもとを去らねばなら
    ないイエスの言葉が綴られている。「(天の)父は願うものを与えてくださる」こと、それは「(天の)
    父があなた方を愛しているからだ」ということ、そして与えられたものによって「あなた方が喜びで
    満たされる」のが重要なのだということを、聖書に即して語ってくれた。内容に異議はないし、
    大切なところをきちんと押さえていたとは思うのだが、複数のポイントを同じぐらい強調して
    しまったため、一つ一つのポイントの印象が薄くなってしまい、結果的に「えーとそれで、何が
    一番大切なんだっけ?」という感じになってしまった。実のある内容を語っているだけに、こういう
    説教はちょっと残念である。

後奏: なんかこう、礼拝の雰囲気に合う曲が見つからず、こういう時は即興に限る!と腹を括り、
    EG112を使っての即興をしてしまった。まずはメロディーをひっくり返して重ねていき、最後に
    元のメロディー出現…みたいな形で即興していったのだが、派手に元気よく礼拝終了!!と
    いうノリになってしまった(笑)やれやれ。