礼拝日誌:公現後第3主日(洗礼式) | さいちゃんの教会音楽な日々

礼拝日誌:公現後第3主日(洗礼式)

 今日は、ホイマーデン地域のプロテスタント教会2つとカトリック教会が合同礼拝をする日。うちではなく、お隣のプロテスタント教会でやるため、私自身は仕事は休み…のはずだった。
 1月に入ってすぐ、D牧師いわく「本当はあなたは休みのはずだったのに、その日の11時半に洗礼式入れちゃった。弾いてくれる?」
 ……よりによって入れるなよ、その日に_ _;

 というわけで、せっかくだからお隣の教会の10時の礼拝にも出席して、礼拝のハシゴをすることにした。オルガンの前に座らずに礼拝に参加する機会は貴重である^^;
 オルガンはお隣のプロテスタント教会合唱団の指揮者で、シュトゥットガルト郊外のエスリンゲンのカトリック教会で教会音楽家をしているM氏が担当。もちろん合唱団も出番、そしてうちの教会から金管アンサンブルも出動していた。
 金管アンサンブルが前奏を吹いたため、M氏のオルガンは讃美歌の時しか聴けなかったのだが、讃美歌の前奏などの即興はさすがカトリックの教会音楽家と思えるような、短いけれど工夫を凝らしたもので、聴いていて勉強になった。あと、M氏はオルガンで合唱団を伴奏しながら指揮を振っていた…^^; やってできないことはないとはいえ、さすが器用なものである。合唱団は、メンデルスゾーンのあまり難しくないコラールを2曲披露。今回は合唱にも何人かうちの教会やカトリック教会から助っ人が加わっていた。
 説教はカトリックのG神父が担当。「信仰を頭ではなく、心で理解しない者は行いが伴わない。神の愛を心に刻み込み、行っていく信仰者にならねばならない」という主旨で、頷ける良い説教であったと思う。
 この日は聖餐式つき。とはいえ、カトリックの聖体拝領とプロテスタントの聖餐式を一緒にやることは、カトリック側から許可されていない。そこで、まずはG神父が聖体拝領を行い、その後でD牧師とお隣の教会のS牧師が聖餐式を行った。普段オルガンを弾いているので参加できない私も、喜んで参加。聖餐を受けることができたのは本当に久しぶりの気がする。
 聖餐式が終わってまもなく、うちの教会の会堂管理人のDさんがひょっこり私のところへやってきて、「今(礼拝を)抜けて聖餐式の準備に行くけれど、来る?」というので、途中ではあったが抜けてご一緒した。お隣の教会とうちの教会は歩いて15分ぐらいの距離なのだが、Dさんは車で来ていたのだ。そしてなんと、D牧師も礼拝を抜けて同乗。おかげさまで11時10分には自分達の教会に到着していた。

洗礼式の典礼は次の通り。

前奏 J.S.Bach: Liebster Jesu, wir sind hier BWV731
挨拶
説教 「子ども達を私のところに来させなさい」
讃美歌 EG503 8+13+14 Ich selber kann und mag nicht ruhn
聖書朗読 洗礼に関する箇所
洗礼
讃美歌 EG(Württemberg)581 1-6 Segne dieses Kind
祈り・主の祈り
讃美歌 EG321 1+2 Nun danket alle Gott
祝祷
後奏 Paul Horn: Fuge Es-Dur

♪ メモ ♪
2家族一緒の幼児洗礼式。個人的に、幼児洗礼のときは赤ちゃんをびっくりさせないように静かな前奏を弾くのが好みである。BWV731はメリスマのコラール前奏曲で、長くなくてちょうどいい感じなので、ときどき洗礼式の前奏に使っている。

説教の聖書箇所は、イエスのところにやってきた子ども達を弟子達が追い払おうとしたところ、イエスに「子ども達を私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」と叱られるという箇所。この箇所を聞くと、いつも幼児洗礼の是非の議論を思い出す。「本人が自覚的な信仰を持たなければ意味がない」という幼児洗礼否定派の意見は一見もっともに見えるのだが、「信仰を持つ」という人間側の行いを基準に考えている、という大きな落とし穴がある。これは、信仰を神の一方的な恵みとする(特にパウロ書簡に見られる)考え方とは、実は相容れない。それに、親に信仰があるなら尚更、「この子を祝福して下さい」とイエスのもとへ連れて来るのは、むしろ自然の成り行きなのではないか?とも思う。幼児洗礼を否定することは、イエスのところにやって来る子ども達を追い払うことになるのではないか、と私はどうしても思ってしまうのだが…。

今日は説教の後に讃美歌のアナウンスがあったので、説教内容と関連する即興演奏はやらずに済んで楽であった。
洗礼後に歌ったWürttemberg版581番の讃美歌はとてもいい歌詞で私も好きなのだが、何回弾いたかわからなくなりそうなのが怖い曲だ。伴奏を変えたり、音色を変えたりして何とか数えるのだが、今日は4番辺りで「今3番だっけ?4番だっけ?」と考える羽目となり、大焦りであった。普段はそういう場合、歌詞を聴き取ることでなんとかするのだが、洗礼式オンリーの時は出席人数も礼拝より少ないし、よく聴こえなくて焦りまくってしまった…。まぁ、結局間違えずにはすんだけれど。

後奏のPaul Hornのフーガは、一言で言うなら「良く出来た偽バロックフーガ」といった感じ^^; 1922年生まれの人が書いたとは思えないほどしっかりバロック風である。Hornはヴュルテンベルクで活躍した教会音楽家で、オルガン曲だけではなく、合唱曲も書いている。音楽学の博士号も取っており、Carus出版社から出ている一連の楽譜の編集・編曲に携わっていることでも有名だ。彼の作曲にはオリジナリティはあまり感じられないのだが、「聴衆にどんなものが喜ばれるか」「教会音楽の現場でどんなものが必要とされているか」は非常に良くわかっていた人だと私は評価している。